コロナ禍と韓国ムン政権の総選挙戦

新型コロナウイルスは、直径およそ100nm(100×10億分の1メートル)。その「見えない敵」が世界を震撼させている。世界保健機関・WHOの集計では、世界の感染者は、3月末時点で75万人を超え、死者は3万6000人余りに拡散している。その防疫対策は「戦争」にも例えられ、日々厳しさを増す。ヨーロッパ、アメリカ、アジアの大半の国が相互に出入国を規制し、都市を封鎖し、外出を制限し続けている。ヒト、モノ、カネの自由な移動が滞り、世界経済全体が後退し、その影響は2008年のリーマンショックを超えるとの見方が一般的だ。先行きは見通せず、「敵」の本性も捉えどころがなく、不安は高まるばかりだ。
今回の感染源とされ、産業のサプライチェーンが分断した中国、感染者数がわずか1か月で世界最多となり、国家緊急事態を宣言したアメリカ。爆発感染に備えて非常事態を宣言する法整備を済ませた日本。韓国にとっては、経済の70%を支える屋台骨、貿易の相手国トップ3だ。自らの経済が足元から大打撃を受けているうえに、日米中の経済が停滞すれば、ムン・ジェイン政権が目指す経済の安定は困難なものになる。この重大な事態にあって、気になるのは、最悪の関係にある日韓の関係である。3月初め、日本が防疫対策の一環として、韓国からの入国を厳しく規制する方針を打ち出すと、多数の国が同様の規制を実施するなか、中国には控え目な韓国が日本には激しく感情的に対抗姿勢を示す。ムン政権としては、日本を非難することで世論に訴えたかのようにみえる。その刺々しさの背景に、4月15日に迫った韓国の総選挙が浮かび上がってくる。

光化門広場の若者たち

韓国の総選挙は2016年以来4年ぶりのものだ。今回の選挙では、選挙法の改正もあって少数政党が多数結成され、立候補した1118人が300議席を争う。とはいえ、選挙戦は進歩系の与党「共に民主党」と、複数の保守系政党が2月に合併して生まれた最大野党「未来統合党」が対決する構図だ。現在、与党の議席は129、野党が118で、与党としては過半数の確保を狙う。与党が勝利すれば、ムン政権は任期後半の政策立案を安定して遂行できる。逆に野党が過半数を得れば、22年の任期満了に向けてレームダック化が避けられない。また、ソウル中心部の選挙区では、与野党ともに首相を経験した実力者同士が対決することから、次期大統領選挙の前哨戦としても注目されている。最新の情勢分析では、与党が野党を上回る支持率を維持しているものの、いずれも中道層や無党派層の取り込みが課題だという。
総選挙が近づくにつれ、韓国でも新型コロナウイルスへの対応が大きな課題となってきた。ムン政権は当初の水際作戦に失敗し、流行拡大を招いたと批判する野党。韓国の防疫対策、とりわけ検査体制は世界から高く評価されていると強調する与党。今回の選挙は、文政権のコロナ対策を国民がどう評価するのかが最大の焦点だ。

南大門市場

総選挙に向けて、ムン政権はどう臨もうとしてきたのであろうか。当初、選挙の焦点は低迷する韓国経済の立て直し政策にあった。2019年の韓国経済は、企業による投資や雇用・消費などの経済活力が委縮し、名目経済成長率は1.1%にとどまった。通貨危機以来21年ぶりの低水準だ。また、最低賃金の引上げを柱とした「所得主導成長政策」と労働時間の週52時間上限制を導入によって、製造業の生産能力が記録的に落ち込み、大量の失業者を生む結果となった。韓国経済の停滞は、「コロナ禍」以前の問題であることに留意すべきである。
新型コロナウイルスの感染者が韓国内で初めて確認されたのは1月20日だ。その後、テグ市の新興宗教団体の集団感染が引き金となり、感染者数は急増した経緯がある。昨今の欧米各国と比較すれば、落ち着き始めているとはいえ、感染者は1万人に迫り、死者165人に増えている。韓国経済が低迷するなか、コロナ禍は製造業、観光業、商業などあらゆる分野に追い打ちをかけるものとなった。有効な経済政策が思うように打ち出せないムン政権にとっては、「コロナさえなければ経済は良くなっていた」と逆に強調しているという。まさに、コロナ禍への責任転嫁なのであろう。コロナ対策に全力で取り組む姿勢を強調し、世界が注目するPCR検査体制を誇る背景には、当初の水際作戦の批判をかわすとともに、総選挙の焦点を当初の経済政策からコロナ禍対策へと誘導する狙いがあったと思えてならない。

こうしたムン政権の動きは、韓国メディアの論調からその実態が次々に浮かび上がってくる。保守系紙、中央日報の3月19日付けの社説「民間の努力と成果に便乗するのに忙しい政府=韓国」は、大統領府青瓦台が17日、「アラブ首長国連邦に新型肺炎の診断キット5万1000個を輸出」したことを明らかにしたが、すぐに診断キットではなく、検体を運ぶのに使う専用容器、輸送バッジだったと指摘する。続けて、「恥ずかしい自画自賛が果てしなく続いている。自身に有利な内容だけを編集・歪曲して広報することも足りず、誤ったファクトまで前面に出して世論を変えようとしている」と厳しく論じている。また、保守系紙、朝鮮日報は3月30日、韓国の診断キットがアメリカ食品医薬品局(FDA)の「事前承認」を受けたと発表したことについて、「フェイクニュース」疑惑があると論じている。これは、韓国政府が総選挙前に「韓国の防疫は世界最高と宣伝するため、結論が出ていないことを誇張して発表したと指摘されている」と伝えた。さらに、朝鮮日報は同じ30日、青瓦台の公式ホームページの「新型コロナウイルス感染症現況」のグラフについて、日付を表す横軸を任意に調整することで、日別の感染者数が減っているように見せて状況を歪曲したと指摘。「政府が政治的宣伝のためにグラフを歪曲した事例は数回繰り返されている」とし、「常習的との批判まで出ている」と批判している。

コロナ禍はムン政権に不利になるとの予測もあった。しかし、現実にはムン政権がコロナ禍をテコに世論に訴える戦術に出たことで、情勢は一気に変わったように見える。停滞していたムン政権の支持率が上昇している現実とその背景をしっかり見定める必要があろう。
 3月17日、韓国の知人より近況を伝えるメールを受信した。知人の勤務する放送現場でも新型コロナ感染者が確認されたことから、3週間にわたって在宅勤務を強いられているという。人の往来と経済活動が停滞し、あらゆるイベントが中止という異常さを訴え、閑散とした街には、総選挙の雰囲気はないとも記している。4月2日以降、街頭での選挙戦が始まるが、コロナ禍で派手な運動はなく、投票率が下がるとも予想されている。また、今回の総選挙からは、投票の最少年齢が19歳から18歳に引き下げられ、浮動票の多い10代の動向が激戦区の勝敗に影響する可能性が指摘されている。経済の停滞とコロナ禍という、かつてない「難局」の真っ只中での選挙は、コロナ禍とともに先行き不透明と言うほかない。
社会不安が高まるなか、飛び交う情報の一つ一つに、その根拠と真偽を見極めるリテラシーが問われている。今後の日韓関係に深くかかわる選挙だけに、韓国民の審判を冷静に見守りたい。

NHK元記者 羽太 宣博

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