国際世論って簡単に動くの?

 世界は「国際世論戦」の戦場だ。昨今、その現実を示す事例に事欠かない。  

 オランダ・ハーグの国際司法裁判所・ICJは、1月23日、ミャンマーの少数派、ロヒンギャの人々に対する迫害をめぐり、ミャンマー政府に改善を命じた。裁判では、ミャンマーが大量虐殺などを禁じた条約に違反しているかが争われ、最終的な判決は数年先になるという。今回の命令には拘束力があるものの、命令を履行する国際法上のメカニズムは脆弱だ。条約違反はないと主張するミャンマーは、今後、アジアの人権問題を監視する有識者、人権NGO、メディア、国際組織などが担う国際世論と向き合うこととなろう。スイス・ダボスで21日から始まった「世界経済フォーラム」は、気候変動に関する論議で一色となった。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが総会で演説し、地球温暖化対策が進んでいない現実に各国首脳らを厳しく非難し、活動への支援を呼び掛けたという。昨年末、日産の元会長、カルロス・ゴーン被告が日本からレバノンに密かに逃亡する事件もあった。ゴーン被告は主に欧米メディアに向けて会見し、日本の司法制度が基本的人権を無視していると批判したほか、自らの立場の正当性を訴え続けた。いずれも国際世論に訴え、自らの立場・主張に理解と支持を求めるという、世論戦の最前線にほかならない。

 反目し合う日本と韓国も国際世論戦と無縁ではない。日韓の間では、2018年秋以降、戦時徴用をめぐる韓国最高裁判決、観艦式での旭日旗問題、慰安婦合意の反故、韓国海軍によるレーダー照射問題、日本の輸出管理の強化、韓国の軍事情報包括保護協定・GSOMIAの破棄決定などが相次いだ。軋轢は外交、経済、安保に止まらず、市民交流にも及ぶ。とりわけ、輸出管理の強化は重大な経済問題であり、慰安婦・徴用をめぐる問題は固有の歴史認識に関わるだけに、日韓双方ともに国際世論に強く訴えかけてきた。

 輸出管理の強化をめぐる日本の立場は、安全保障上の理由から韓国側の管理体制の改善を求め、優遇措置を停止するものであった。一方、韓国は、管理強化は徴用問題に対する報復だとしてWTOに提訴し、加盟各国に韓国の立場の正当性を訴えた。その主張は感情的に過ぎ、各国の理解を得たとは言い難い。福島周辺8県の水産物について、韓国が厳しい残留放射能基準を設けて規制している問題で、WTOは去年4月、韓国勝訴の決定を下した。留意すべきは、この決定が韓国の安全基準の整合性を判断したものでなく、輸入食品の安全基準は各国が自主的に決めるという、「検疫主権」を追認した点にある。その論理に立てば、日本の輸出管理の強化は安全保障に関わる管理上の権利と位置付けることができる。韓国が昨年末にGSOMIAを一転して延長し、輸出管理の問題を対話で解決する姿勢を示した背景には、WTOにおける情報戦が期待するほどには成果が上がらない事情があったとみるべきであろう。

 日韓の根っこにある歴史認識問題は、韓国の市民団体が1990年前後より提起し、今に至っている。一方、その世論戦は、わずか10年ほど前に始まったにすぎない。平和と被害女性の人権の回復を訴える慰安婦像は、2011年、ソウルの在韓日本大使館前に初めて設置された。筆者がKBSラジオ国際放送に勤務していた2013年には、アメリカ・カルフォルニア州のグレンデール市に国外で初めて設置され、大きなニュースになったのを今も覚えている。今では、カナダ、オーストラリア、中国、ドイツなどにも設置され、2019年11月現在、韓国内で100か所以上、国外で10か所にのぼる。アメリカでは、在米の韓国系団体が中国系団体と連携し、一定の成果を生み出したという。その背景には、今なお繰り返される戦時性暴力の防止や女性への差別解消という、現代の「女性の人権」に強い関心を示す国際世論がある。当初、日本が慰安婦像の設置に過剰に反応したことで、日本の戦争責任という「負の歴史」を棚上げするかのように受け取られた経緯にも留意する必要がある。日本の立場を損なった分だけ、韓国の世論戦が功を奏したと言えるのかもしれない。その反省に立って、日本は国際世論に真摯に働きかけ信頼と理解を得る、広報文化外交(パブリック・ディプロマシー)に本腰を入れ始めた。日韓の世論戦の立場が次第に変わっていく潮目ともなった。

 国際世論に直接訴える日本の外交は、2004年に設置した「広報文化交流部」に遡ることができる。その3年後の外交青書では、広報文化外交を新しい戦略として打ち出している。また、大きな転換点になったのが2015年だ。この年の広報文化外交の予算は、前年に比べ500億円を増えた700億円に達する。また、戦後70年の首相談話は、「植民地支配」「侵略」「お詫び」「反省」などの言葉を多用し、「歴史に対して謙虚でなければならない」と訴えている。

 2017年以降、日本の文化や技術などの魅力を海外で発信する拠点として、「ジャパン・ハウス」がブラジル、アメリカ、イギリスの3か所にオープンした。平和国家としての歩みに関する展示やセミナー、日本語教育など、いろいろな事業が実施されている。一方、韓国は2010年に「公共外交元年」を宣言し、2年後に公共外交政策課を設置している。2016年には「公共外交法」を施行し、国際社会における韓国のイメージと地位の向上を目指す外交を本格化させた。日韓のこうした歩みを世論戦に重ね合わせてみると、双方がそれぞれの動きに反応し、民間との連携を図りつつ、国際世論に働きかける動きと連動していることが浮かび上がってこよう。日韓の世論戦は、日本が徐々に成果を上げ始めている。

 国際世論に直接働きかける世論戦は、慎重でなければならない。その影響の大きさに照らして、厳しい原則がある。3点挙げられよう。まず、その立場・主張は「国際益」に適っていること。つまり、平和、自由と民主主義、法の支配、人権の尊重など、国際社会に共通の「普遍的価値」を目指すものでなければならない。次に、虚偽や策略を駆使した働きかけは、いわゆる「プロパガンダ」にほかならず、「徹底した事実」に基づかなければならない。さらに、主張は誘導的であってはならず、「公平」であること。激しさをます日韓の世論戦は、とりわけ歴史認識問題をめぐって、双方の立場・主張が食い違い、対立を一層深めることもある。「国際益」「徹底した事実」「公平」の3原則に立ち返り、主張すべきは主張し、譲るべきは譲ることが求められよう。

 ミャンマーのロヒンギャ問題をめぐって、ICJが下した命令が示すように、国際社会は法を履行するメカニズムが十分確保されておらず、法と正義が必ずしも通用しない「不条理の世界」である。軍事力と経済力は、今もなお、ものを言う。その一方、文化、歴史、自然といった魅力、政治的な価値観や政策などのいわゆるソフトパワーを活用し、相手国や世界の国々・市民の理解と支持を得ることで、「普遍的な価値」を実現することが一層重要になってきている。そこに、国際世論の持つ意味も増幅され、その担い手である個人、NGO、企業、国際組織、加えてメディアが大きな役割を果たす構図が生まれてくる。

 メディアに生きる者は、狙い通りに動くとも思えない国際世論の動向を見つめ、ひたすら普遍的価値を追い続けることが問われるのであろう。
羽太 宣博 (元NHK記者)

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