香港の怒りが中国を追い詰めるか

■自由を守るには抗議運動が欠かせない

 溜まったマグマが噴き出すように、香港で市民の怒りが爆発した。逃亡犯条例の改正案に抗議した大規模なデモだった。

 改正案は中国本土への犯罪容疑者の引き渡しを認めている。成立すれば、中国を批判する香港市民が中国に連行されて処罰され、最悪の場合、死刑となる。活動家だけではない。大学教授や学生、言論人、経済人、そして香港で暮らす外国人までもが標的になる。香港から自由がなくなる。

 1997年7月1日、香港がイギリスから返還されたとき、中国政府は香港を特別行政区として自治を許した。憲法の香港基本法に基づいて行政、立法、司法の三権を50年間にわたって認め、香港の自由を一定程度まで保障した。中国という「一国」の中に、共産・社会主義と資本主義の「二制度」を併存させる統治だ。

 これが一国二制度である。かつての最高実力者、鄧小平(トン・シャオピン)氏の奇策だった。中国政府は台湾にも一国二制度を呼びかけ、中台統一を狙っている。

 今年6月18日、中国政府の意を受けた香港政府トップの林鄭月娥(りんていげつが、キャリー・ラム)行政長官が記者会見を開いた。林鄭氏は改正案の成立について「可能性は極めて低い」と説明し、事実上の廃案になるとの見解を示した。

 香港市民の民主化運動が勝ったことになる。だが、これで中国政府が香港の完全な組み入れを諦めたわけではない。香港市民は自らの自由を守るために抗議運動を続ける必要がある。

 

香港史上最大の200万人デモだった

 話は前後するが、香港政府が今年4月に改正案を議会に提出して以来、市民の抗議活動が相次ぎ、6月9日には中学生や高校生、大学生、一般市民ら参加者が100万人を超すデモが起きた。その後、一部の学生がゴーグルとマスクに身を固め、幹線道路に座り込んで占拠した。車両の通行を妨害し、警備中の警察官ともみ合いになり、香港警察は催涙弾やゴム弾を使って応戦した。その結果、学生側に多数のけが人が出た。

 香港政府行政長官の林鄭氏は15日、条例の改正案の審議について「期限を定めず延期する」と発表した。その一方で「改正案の撤回ではない」とも話して改めて審議する意向を示した。

 これに対し、学生や市民は「あくまでも改正案の撤回を求める」と16日から17日まで抗議デモを続け、その参加者は200万人にも膨れ上がった。9日のデモの2倍に相当する香港史上最大規模のデモとなった。香港で暮らす市民の4人に1人が参加した計算だ。中国政府もここまで大きくなるとは予想していなかった。

 香港では言論の自由がある程度まで保障されている。しかし、香港議会は構造的に親中派が多数を占め、民主派の声は届かない。このために抗議デモが繰り返されてきた。

 たとえば、2003年7月、香港政府が民主派を取り締まるために国家安全条例を制定しようとしたことに50万人の市民が抗議してデモを行った。2014年9月から12月にかけても、学生たちは行政長官を民主選挙で選べるよう求めて79日間の座り込みを続けた。これがいわゆる雨傘運動(道路占拠運動)で、警察の催涙ガスに備えて傘を広げたところからこう呼ばれるようになった。

 抗議デモによって自由を守ろうと頑張る香港市民にエールを送りたい。

 

経済発展の裏で貧富の格差や役人の汚職がはびこる

 ところで、今年は中国の「天安門事件」からちょうど30年目に当る。1989年6月3日から4日にかけ、民主化を求める学生たちの運動が、中国政府の武力で鎮圧された。鄧小平氏ら中国共産党指導部が「反革命暴乱」と断罪し、戒厳令下の北京・天安門広場に軍の兵士や戦車を出動させ、実弾を発砲した。

 中国政府は発砲を否定し、死者数を319人と発表した。しかし、イギリス外務省の公文書によると、1000~3000人の死者が出た。死者1万人という説もある。

 事件後、中国政府は監視の目を強化して言論の自由を奪い、共産党による一党独裁体制を貫いた。その体制のもとで経済発展を遂げ、世界第2位の経済大国とまで言われるようになった。日本や欧米は、経済的に豊かになれば民主改革に乗り出して歪んだ体制を改めるだろうと考えた。

 日本と欧米の見通しは誤っていたのか。いや、そうではなく、中国がまだ本当に豊かになっていないのだと思う。中国政府は鉄道、エネルギー、通信、金融という重要な基幹産業を握って民間部門から巨額の利益を吸い上げてきたし、それはいまも変わらない。中国の市場経済は民主的に解放されていない。

 近い将来、中国経済に大きなほころびが生じ、バブルが弾けてもおかしくない。見せかけの経済発展の裏側では、役人の汚職がはびこり、国民の間には貧富の格差が広がっている。無計画に産業を育成した結果、大気がPM2.5(微小粒子状物質)に汚染され、環境破壊が深刻だ。

 中国には真の豊かさがない。中国政府は形だけの豊かさをあめ玉のように国民に与え、情報を隠して国家を維持してきた。中国の国民は何故、そこに気付かないのか。気付きながら与えられた豊かさに満足しているとしたら、情けない。

 

抑え込まれた民衆のエネルギーは必ず爆発する

 30年前と言えば、日本は平成がスタートした年だ。当時、私は産経新聞東京社会部で事件遊軍記者として働いていた。1989(平成元)年1月以降、リクルート疑惑に東京地検特捜の本格的捜査が入り、リ社の江副浩正元会長やNTTの真藤恒元会長らが次々と逮捕された。政治家では確か、藤波孝生元官房長官と池田克也元衆院議員の2人が受託収賄罪で取り調べを受けて在宅起訴された。6月2日には竹下登内閣が総辞職している。

 事件の構図は政・官・財の要人らがリ社から未公開株を譲り受け、見返りに便宜を図っていたというもので、政・官・財の「濡れ手に粟」状態に国民の怒りが爆発して大型の贈収賄事件に発展した。

 そんなリ事件を取材しているときに天安門事件が起き、こう思った。

 「民主化を求める若い学生たちのエネルギーを抑え込めば、溜まったエネルギーが爆発して中国は吹き飛ぶだろう」

 リ事件と中国の民主化は別次元だという見方もあるだろう。だが、抑圧された民衆のエネルギーが必ず社会を変えていくというのが、私の持論である。

 いまのところ、香港の抗議に中国はビクともしない。しかし、やがては大規模デモを続ける香港が中国を民主化へと導くことを願う。

 これまで香港市民は「中国本土の住民も、香港市民も同じ中国人」と考え、中国全体の民主化を主張してきた。2014年秋の雨傘運動の後は反中感情が強まり、「自分たちは香港人」との意識が広がり、「中国本土の民主化よりも、香港の民主化が先だ」と訴える市民が多くなった。

 香港の次は中国本土だ。資本主義のもとで自由に経済活動を推し進めてきた香港が、抗議デモによって一党独裁の中国を追い詰めてほしい。    

木村良一(ジャーナリスト)

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