インドネシア大統領選挙と狂信的イスラム教徒の顕在化

 2019年4月17日、インドネシアでは5年に一度の直接大統領選挙が実施された。ジョコウィ対プラボウォという大統領選挙の図式は5年前の大統領選挙の再現であった。そのときはジョコウィが53.15%、プラボウォは46.85%という結果であった。
 今回は初めて大統領選挙と国政選挙の同時選挙であったこともあり、選挙管理委員会による選挙の運営を巡っては若干の混乱があった。とはいえ有権者の8割にあたる1億5千万人以上が投票し(インドネシアの人口は2億6千万人を超える)、前回2014年選挙時より1割近く投票率が上昇したことになる。しかも今回は17歳から35歳の、いわゆるミレニアル世代の投票率が高く、彼らの動向が大統領選挙の行方を決めるともいわれていた。では「民主主義の祭典」はどのような結末を迎えようとしているのか。

 ジョコウィ再選への疑義?
選挙管理委員会による選挙結果の公表は5月22日に予定されている。したがって現段階では、民間世論調査機関によるクイック・カウントを基にした議論になる。各種クイック・カウントによると、ジョコウィは54から55%の得票率であるのに対し、対抗馬のプラボウォは45から46%となっている。ほぼすべての世論調査機関はジョコウィ大統領の勝利を確実視している。
 ところがこれに対して、プラボウォ陣営は否を唱えている。自陣の調査では、プラボウォが53.2%、ジョコウィは46.9%だと主張しているのである。じつはプラボウォ陣営は選挙期間中より、選挙管理委員会、マスメディア、世論調査機関の中立性に激しく疑問を呈していた。選挙当日の夜にプラボウォが勝利宣言をした際、翌日に自分は大統領としてインドネシア民衆のために全力を尽くすと声明文を読み上げた際にも、操作された選挙と世論を非難する一幕があった。
 これはプラボウォ陣営の選挙戦略であった。選挙の正当性に疑問を呈する一方で、プラボウォは強いインドネシアの復活を掲げ、強い指導者の必要性を訴えてきた。そのレトリックはアメリカのトランプ大統領の政治戦略に極めて近い。すなわち脅威の強調である。プラボウォはことあるごとに、中国の脅威を叫びその影響力の排除を訴えた。
 実際ジョコウィ政権は、全国的なインフラストラクチャー整備を重要な経済政策として掲げ、大規模な外資導入を推進してきた。際立ったのが中国からの投資であった。しかも中国がらみの案件では大量の中国人労働者が使用されていた。この実態を指摘し、インドネシアが中国の支配下にはいるという脅威をあおることで、プラボウォはイスラム保守層から強い支持を獲得していた。そしてそれは反中国(人)感情を顕在化させた(この点については拙稿「選挙の季節に潜む闇」、2018年6月を参照)。

アイデンティティ政治
 今回の選挙では地方ごとに両陣営への支持が明確に分かれた。ジョコウィが強かった州は、中ジャワ、東ジャワ、北スマトラ、西カリマンタン、北スラウェシ、バリ、東ヌサ・トゥンガラ、パプア、西パプアであった。中・東ジャワはイスラムが根強く、副大統領候補マアルフ・アミンへの信頼が高い。アミンはインドネシア最大のイスラム組織ナフダトゥル・ウラマー総裁、インドネシア・ウラマー評議会議長などの要職を歴任してきた。バリはヒンドゥ教、そのほかはキリスト教徒が多数派となっている。
 これに対して、プラボウォの得票が多い州は、西ジャワ、バンテン、西スマトラ、南スマトラ、南カリマンタン、南スラウェシである。いずれも保守的あるいは狂信的なイスラム教徒が多い地域である。4月7日ジャカルタで開催した大規模選挙集会に集まった支持者は白装束に身を包み、熱心に祈祷をささげた。
地方ごとの支持層は宗教アイデンティティに基づく要素が色濃く反映された。しかもイスラムは一枚岩ではなく、一種狂信的な集団の顕在化と、かれらの力強いプラボウォ支持の姿勢は前回の大統領選挙には見られない光景であった。イスラムに基づくインドネシアというかれらの欲望は侮れない。
 くわえてプラボウォ陣営は、ジョコウィを非イスラム教徒、共産主義者と揶揄することも辞さない。そのために戦前の討論会では、ジョコウィ自ら一部の人びとが唱える誤った噂ではなく、事実に基づく判断をしよう、と繰り返し国民に呼びかけたほどであった。また上記のように副大統領候補に知名度の高いイスラム指導者を添え、選挙直前にはメッカ巡礼をした。それだけではなくサウジアラビア国王の招待を受けて、ジョコウィはカーバ神殿にも招き入れられた。こうした政治的に象徴的なメッセージを送らざるをえないほど、イスラム教徒の支持を取り付けることがジョコウィ再選の鍵であったともいえる。

インドネシアのゆくえ
 選挙が終わっても政治は終わらない。選挙の最終結果如何に関わらず、民主主義がもたらした社会を分断するアイデンティティ政治はインドネシアに定着した。この点が二期目を迎えるジョコウィ政権にとっては頭痛の種であることには違いない。

山本信人(慶應義塾大学法学部教授)

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