KBS・730日の日々 ~「徴用工」判決に日韓の根っこが軋む~

 11月13日、成田発インチョン行きの飛行機は、30分遅れの出発となった。離陸してまもなく、シートベルト着用サインが再び点灯。ひどい揺れと軋みに、悪化する一方の日韓関係が重なった。韓国では、10月以降、チェジュ島の国際観艦式での旭日旗問題、国会議員による竹島(ドクト)上陸、大戦中の「徴用工」による損害賠償請求権を認める大法院判決、日韓合意に基づく慰安婦財団の解散発表と続いている。「日帝強制占領期」との表現が象徴するように、日韓併合以降の植民地時代を違法とするのが韓国の歴史認識である。この秋からの一連の動きは、この歴史認識に根ざしたものである。また、ムン・ジェイン大統領が「未来志向」と強調する一方、真逆の反日的外交姿勢を強めたと見ることもできよう。機体の揺れと軋みで始まったソウル訪問は、どん底に落ちかかった日韓関係が気になる、心騒ぐ旅となった。
 高い支持率のムン政権の基盤に、何か変化が起きているのだろうか。ソウル市内は、相変わらず活気があるように見える。ところが、一昨年も去年も、中国人旅行者でごった返していたロッテ免税店に立ち寄ると、ミサイル防衛システム「THAAD」の配備問題で激減したままの中国人は戻っていない。売り場は店員の目立つデパートの平日並みだ。ソウル一の繁華街、ミョンドンはどうか。行きつけのカンジャンケジャン(ワタリガニの醤油漬け)の店はつぶれていた。そこで、ネットでベスト5にランクされる店を選ぶと、夜8時だというのに、広い店内は3組7人だけだ。何よりびっくりしたのは、今が旬のカンジャンケジャンが何と生半可な解凍もの。1杯6~7,000円もする高級店ならまだしも、売れてないのかと首を傾げた。ムン政権は、中・低所得者層に手厚い経済政策を推し進めている。しかし、成果は上がっていないという。9月の小売販売額指数は前月比2.2%下落、産業生産は1.3%減少し、経済を支える輸出にも暗雲が漂う。2泊3日の滞在とはいえ、ソウルの街の表情からは、経済指標通りの韓国経済の実像が見えてきた。また、この秋から一段と強めた反日外交姿勢の背景に、経済政策での公約が実現できないまま、国民世論に直結する歴史認識問題で支持基盤を強めようという、ムン政権の意図が見え隠れする。
 日韓関係は、竹島、靖国、慰安婦などの歴史認識問題をめぐって、絶えず対立してきた。とりわけ、日本の炭鉱や軍需工場などで過酷な労働を強いられたとする「徴用工」をめぐる大法院判決は、「日韓関係の根っこ」を軋ませる、次元の異なるものとなった。10月30日の新日鉄住金に続き、11月29日には三菱重工に損害賠償の支払いを命じる判決は、「日韓請求権協定(1965年)」第2条の「請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」との合意を覆し、戦後の日韓関係の基礎を無にしかねないものであった。また、判決の最大の論点は、個人の請求権が国家の協定に優先して認められるかどうかの点だ。判決は、「日本の植民地支配は不法な強制的な占領だった」として、「植民地支配と直結した不法行為などは請求権協定の対象に含まれない」と判断し、個人の請求権を認めている。結局、判決は、韓国の憲法で保障された個人の権利を、日韓の国家間協定より優先させる判断をしたことになる。
 この判決について、日韓のメディアはどのように伝えたのであろうか。まず、日本のメディアは、日韓の請求権問題を解決済みとする日本の立場や、ノ・ムヒョン大統領以降、韓国政府自ら解決済みとしてきたことなどに照らして、判決は受け入れ難いとの論調であった。これに対し、韓国メディアでは、革新系のハンギョレが判決翌日の社説で、「日帝強制占領期の被害者を遅まきながら救済したという点で意味が大きい」と評価している。 一方、保守系の朝鮮日報、中央日報、東亜日報の各紙は、「徴用の“恨”は晴らしたが…日本に反論する外交戦は今から(中央)」などと判決を支持しつつも、悪化の避けられない日韓関係を深く憂慮する論説が目立った。また、朝鮮日報が「文在寅政権の対日『職務放棄』外交」「文大統領の大言壮語はどれもうそ、国民は何を信じればよいのか」、また、中央日報も「日本、韓国の敵なのか」などと題する社説やコラムで、ムン政権を批判しつつ、徴用工問題での積極的な対応を求めている。しかし、メディアの論調を見ると、日韓双方ともに、肝心な国際社会の判例や慣行、国際法理からの分析は決して十分ではない。いずれも日韓それぞれの立場・視点から、判決や問題点を伝えるに過ぎず、判決の真の評価がなされているとは言い難い。現実の国際社会は、国家のみが主体である。昨今、個人の権利が限定的であれ認められるのは、戦後の人権思想の高揚に伴う人権法の整備・確立によるであるが、結局は国家の合意が前提となっている。今回の判決は、まず、国際秩序の基盤である国際法の諸原則に反する。日韓基本条約及び請求権協定によれば、個人請求権の問題を一括して解決し、日本が拠出した資金をもとに、韓国政府が一部賠償を進めた経緯もある。つまり、判決上の個人請求権は国際法的には消滅し、国内法上の問題として韓国政府が賠償の責めを負うべきものである。とはいえ、アジアにおける戦後責任とともに、実現は到底困難と思われるが、欧米列強の植民地支配の責任さえも問うという、挑戦的な側面も見逃すことはできない。
 韓国における「徴用工」の損害賠償請求訴訟は、なお12件が係争中で、被告の日本企業はおよそ70社に上る。今後、さらに悪化しかねない日韓関係をどのように調整するかの問題は残る。日本、そして国際社会が「正義と法の支配」を遵守しつつ、人権の保護や今なお問われる植民地支配の責任に今後どう向き合っていくのか。メディアはしっかりと見守っていかなければなるまい。
羽太 宣博(元NHK記者)

Authors

*

Top