シリーズ・客船で世界を旅してみた~その5~

 先月号で、ソマリア海賊の話を書いたところ、早速、読んでくださった元会社の先輩からメールが来ました。アメリカ映画「キャプテン・フィリップス」を観ましたか?目を血走らせたソマリアの海賊の狂気が迫真的で、息苦しいほどのリアリティがありました。映画館で観るのが一番ですが、まだならDVDでどうぞ、とのことでした。
 この映画は、2009年にソマリア沖でアメリカの貨物船が海賊に襲撃され、船長が人質になった事件が題材です。2013年の作品で、今回の船旅では、客室のテレビで上映され、私もすでに観ていました。フィリップス船長に扮したトム・ハンクスの熱演と、アメリカ海軍特殊部隊の救出作戦が見所で、小さなテレビ画面を通しても十分に迫力がありました。もちろんソマリア海賊の危険性が去った後に上映されたので、冷静に観ることができました。
 さて、私たちの船は、5月8日午前5時前スエズ運河の入口に着きました。開放された船の7階デッキは人で溢れていました。日の出は午前5時1分、風が強くて肌寒く、上着が必要でした。船はゆっくりと運河を進みました。左舷側(アフリカ大陸)は建物や緑が多く、対する右舷側(シナイ半島)は荒涼とした砂漠が続き、実に対照的な光景でした。
スエズ運河は、地中海と紅海を結ぶ全長162.5kmの運河で、10年の歳月を経て1869年に完成しました。これによりヨーロッパへの船旅は、アフリカ南端のケープタウン回りより1万km短縮されました。現在は、全長約72kmの第2スエズ運河もあります。こちらは2015年7月に1年足らずで完成しました。
 運河の通行量は、一日97隻、エジプトの運河による収入は年間123億ドルにものぼるといわれます。船は約10時間でスエズ運河を抜け地中海に入りました。地中海は、海の色が違うのかなと目を凝らしたのですが、運河の色とまったく変わりませんでした。
201805b  5月10日午前9時前、ギリシャの首都アテネの港ピレウスに着きました。ピレオスは、地中海でも5指に入る国際港、船で渡るという意味の「ピレオ」が語源だそうです。よく晴れて日差しがきつく感じました。港からツアーバスで出発、約20分で神話の時代を今に伝えるアクロポリスの丘・パルテノン神殿に着きました。パルテノン神殿は世界遺産のシンボルマークになっています。
 高低差50mの坂と階段を昇り降りする人の波が続いていました。神殿のまわりは大理石の石畳になっていて少し歩きにくく、雨の日には滑りそうでした。アクロポリスの丘からアテネ市内が一望できました。現地のガイドによると、アテネ市内には1850もの遺跡があるといいます。駐車場が足りないので作ろうとすると考古学的に貴重なものが出土します。ですから駐車場を簡単には増やせません。駐車料金も1時間1ユーロと高く、違法駐車も絶えないといいます。古き良きアテネの面影を残す旧市街プラカ地区を散策し、ボリュームたっぷりのギリシャ料理とワインを味わいました。
201805c 5月12日午前7時、メッシナ海峡を通過しました。イタリア本土とシシリー島の間にあるこの海峡は、一番狭いところで幅3キロです。交通機関は、鉄道連絡船と水中翼船で、人のみの運搬はありません。霧に霞んでいました。かつてローマ帝国は、地中海全域を支配しました。元日本ユネスコ協会連盟事務局長の吉岡淳さんによると、ローマ帝国の総人口は約1億人と、世界の人口の約4分の1を占めていました。ローマの人たちの暮らしと言えば、パンは無料配給、仕事は午前中のみ、午後は混浴の風呂で汗を流し、夕方は居酒屋でワインを楽しむという贅沢な暮らしぶりだったそうです。海峡を過ぎて2時間半後、左舷にストロンボリ島(写真)が見えてきました。地中海は活火山が多く、この島もその一つで、山の頂上付近から白い煙がかすかに見えました。
201805d 5月13日、イタリアのカリアリに到着、地中海で2番目に大きなサルデーニャ島の州都です。港からバスで世界遺産の巨石文明遺跡「ヌラーゲ」観光に出発しました。「ヌラーゲ」は「石の砦」という意味で、紀元前14世紀から7世紀にかけて造られました。島内に8千個も点在しています。その中で一番大きな「ヌラーゲ・スゥ・ヌラクシ」を訪れました。玄武岩で作られた遺跡は、上部が崩れて原型を留めていません。現地ガイドが示した想像図でなんとか要塞か城だったとわかりました。大人1人がやっと通れるような狭い通路を数珠つなぎになって中に入りました。サルデーニャ島は海賊によく襲われていました。海賊の目的は女性と子供です。奴隷として売りました。子供たちは海賊として育てられ、生まれ故郷とは知らずサルデーニャ島を襲うという悲劇もあったといいます。次は、スペイン、そしてジブラルタル海峡を抜け大西洋に入ります。
山形良樹(元NHK記者)

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