国税長官人事問題 「気骨ある役人を絶やすな」

7月5日付の国税庁長官の人事に対し、「露骨な論功行賞だ」との批判が出ている。かつて5年間、国税庁記者クラブに籍を置き、国税がらみの事件を取材してきた私もこの人事には納得がいかないところがある。
 新長官は財務省理財局長として学校法人・森友学園への国有地売却問題で国会の答弁に何度も立ち、事実確認や記録の提出を拒み続けた。野党の追及をかわし、安倍政権を擁護した。
 政府にとってこれほど役に立つ官僚はいないだろう。だが、彼の姿は不透明で、国民の目にどんよりと曇って映ってしまう。
 国税庁は傘下に11の国税局と524の税務署を持ち、5万人を超す職員が国民から税金を徴収している。税務調査によって法人や個人の金の流れをチェックし、ときには申告漏れや脱税も正すが、原則は国民が自主的に行う申告納税であり、課税には公正性が重視される。
 その公正性において国民に疑いの目で見られる人物の長官就任は、根幹の申告納税制度をも破壊しかねない。本来、国税庁という組織のトップに就く人物は、一点の曇りもあってはならないからである。
 麻生太郎財務相は7月4日に問題の人事を発表した際、「(新長官は)丁寧な説明に努めてきた。特に瑕疵があるわけでもない。国税庁次長や大阪国税局長といった税の関係をいろいろやっているので適材だ」と強調していた。
 しかし、国民が不信に感じているのは、新長官の経歴ではない。彼の国会答弁の仕方そのものだ。どこが「丁寧な説明」と評価できるのだろうか。開いた口が塞がらない。
 国税庁OBも「国民をばかにしている。官邸が霞が関の人事を握っているからおかしな人事が行われる」と指摘する。
 国税庁といえば、検察とタッグを組んでロッキード事件や金丸脱税事件を手掛け、不正を許さない官庁として知られてきた。
 それが国民に不信感を持たれる人物がトップに就く。国税庁だけの問題ではない。このままでは「官邸の意向に従っていれば出世できる」「逆らうと冷遇される」と考える官僚ばかりが霞が関に増え、自分の信ずるところを貫こうとする気骨のある役人が消えてしまう。
 元凶は安倍政権が2014(平成26)年5月に設置した「内閣人事局」にある。内閣人事局の設置により霞が関の中央官庁で働く4万人の国家公務員のうち、事務次官や局長、部長ら600人の人事に首相や官房長官が直接かかわれるようになった。安倍政権「1強」のなか、この内閣人事局の弊害として表れたひとつが、今回の国税庁長官の人事である。
 ところで「永田町のドン」と呼ばれた元自民党副総裁の金丸信(1996年3月、81歳で死去)の巨額脱税(所得税法違反)容疑に対する強制調査(査察)は、1993(平成5)年3月6日の土曜日に実施されている。
 私が国税を担当するようになってわずか1カ月後のことだった。あのころ右も左も分からない状況下で、国税庁の幹部から東京国税局査察部の査察官まで夜討ち朝駆けを繰り返し、気力と体力の限界まで取材し続けたものである。
 そんな苛酷な取材のなかで知り合ったのが、当時、国税庁調査査察部の部長を務めていた野村興兒氏だった。調査査察部の部長は金丸脱税事件のような大型の脱税事件では〝陣頭指揮〟を執る。
 彼は大蔵省(当時)採用のキャリアではあったが、権力に固執しない、潔さのある官僚だった。事件史上に残る金丸脱税事件を手掛け、官僚として出世できたにもかかわらず、事件の年の10月には、故郷の山口県萩市の市長に就任する。気骨のある官僚だった。
 1944(昭和19)年7月生まれで初当選当時、49歳。故郷の行政に残りの人生を捧げ、72歳の今年3月まで約24年に渡り、萩市長を務めてきた。
 野村氏のように親しくはないが、加計学園問題の前文部科学省事務次官の前川喜平氏も数少ない気骨のある官僚のひとりだろう。
 加計学園問題では、同学園の獣医学部新設計画に対し、文部科学省が内閣府から「官邸の最高レベルの意向だ」といわれたとする記録文書の存在が、クローズアップされた。
 政府がその記録文書を怪文書扱いにして存在そのものを否定するなか、前川氏は堂々と記者会見して「記録文書は存在する」と証言した。その後、政府は再調査に追い込まれ、その存在を認める。
 前川氏はスキャンダルを安倍政権寄りの新聞に書かれるなど攻撃も受けている。それにも屈せず、一銭の得にもならないのに自分の意志を貫く。
 霞が関から気骨のある役人を絶やさないためにも新聞ジャーナリズムがときの権力を監視する必要がある。       
木村 良一(ジャーナリスト)

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