「保守政治」が今、なぜ再評価されるのか

 「今の自民党は本来の保守政治とは違うのではないか」「政治家や役人はもう少し節度やプライドがあった」という声が、自民党内で聞かれる。石破茂元幹事長や岸田文雄外相らのポスト安倍を模索する動きも絡んで、本来の「保守政治」に新たな価値を見出そうとする動きも出始めた。

 「暮らしファースト」で再生を
 「保守政治」というと、民進党の蓮舫代表から「私こそ本当の保守」という発言もあって保守の説明は難しい。一般には戦後の政治路線を築いた吉田茂元首相の政治手法を継ぐ政治家や派閥で、池田勇人、佐藤栄作(いずれも首相)の系譜を指す。吉田、佐藤両氏に親しかった保利茂元衆院議長は、著書「戦後政治の覚書」で「新憲法の精神で政治を運営していく。それにサンフランシスコ平和条約、日米安保条約、これが戦後の新しい日本の骨組み、骨格となった。これを維持、発展させようとすることが、せんじつめれば(保守)本流意識ではないか」と説いている。
 1960年に岸信介政権が日米安全保障条約改定の混乱の中で退陣、後を継いだ池田勇人政権は「寛容と忍耐」を打ち出し、2分された国論の修復を図った。この人脈は田中角栄、大平正芳、鈴木善幸、竹下登、宮沢喜一、橋本龍太郎、小渕恵三各首相と続き、保守本流意識が強い。言論界出身の石橋湛山首相は「保守リベラル」と呼ばれた。
 池田政権の「所得倍増論」、田中政権の「日本列島改造論」、大平政権の「田園都市構想」など、国民生活に目線を据えた国づくりと、「軽武装、経済優先」を掲げた。国民生活にかかわる重要案件では、党内や国民の議論を重視したのも保守本流の政治手法だ。

 中、韓、アジア外交を重視
 外交路線は日米重視だがアジア、太平洋戦争の反省から中国や韓国をはじめ、アジア諸国との関係も大事に考えた。宏池会(岸田派)の古賀誠元自民党幹事長らが靖国神社へのA級戦犯の分祀にこだわるのは、昭和史の教訓を踏まえている。
 池田人脈から見ると鳩山一郎、岸、福田赳夫3首相の系譜は「保守傍流」になる。岸、福田両氏の流れは森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、安倍晋三首相と続き、中曽根元首相も含め今やこの人脈が「新・保守本流」とさえ言われる。この系譜が憲法改正に熱心なのは、1995年に自民党は自由党と民主党が保守合同して誕生するが、民主党にはA級戦犯に擬せられた政治家、官僚が数多く結集していたからとされる。
 ところがグローバリズムとともに、市場原理主義が世界の潮流になるにつれて財政の破たん、貧富の格差など矛盾が露呈し、この間に中国が経済力をつけて脅威に感じられるようになると、「戦犯は保守本流の人脈ではないか」と指摘され、保守本流の人々が自信を失ったのが、今日の政治状況と言えるだろう。

 「権力の自制」があった
 安倍晋三政権を支える人々の言動については、自民党の村上誠一郎元行革相は「保守の本質は国民の暮らしとか安全を守り、良い伝統、手法なども引き継いで正義を目指すことにあった」とする。ポスト安倍をにらむ石破氏や岸田氏らも憲法や加計問題では慎重な表現ながら異論や注文を付けている。また党の右派系議員は「これ以上対米従属を強めるとアメリカと一体になる」と懸念を示す。
 貿易立国の日本は他国と友好関係が大事だ。中国の言動を是認するわけではないが、隣国の中国や韓国とはトップが頻繁に行き来できないといけない。戦争の傷痕は加害者よりも殴られ痛い思いをした側に強く残るものだ。歴史を振り返ると漢字、暦、儒教、仏教、陶磁器、機織りなどは中国や朝鮮半島を通じて伝えられた。明治維新では欧米の科学や学者を招いて近代化を進めた。国会論戦で籠池、加計疑惑に対する安倍首相の答弁や対応には、政治家に大事な教えとか道義が感じられない。1989年、竹下登政権はリクルート事件の批判を浴びて退くが、批判の攻勢にさらされていても「権力者の立場にいるから批判を受けて当然だ。正すべきところは正す」と言っていた。「権力の自制」は民主政治の大事な原点である。

 圧倒する対抗軸を
 欧米のメディアは右翼政党の台頭やテロの頻発は、貧富格差の固定化が原因だが、多くの国の政治は国民の声を代表していないと伝えている。こう見てくると「保守本流政治」には、今の政治に生かされなければならない大事な価値観があるように思われる。
 次世代はどう生きて行くのか。アベノミクスの財政、金融政策で大丈夫か、近隣諸国と友好関係をどう築くのか。民主主義をポピュリズムから守り育てていくことも大事だ。保守本流政治には国民ファーストを踏まえて、安倍政治を圧倒するような対抗軸を打ち出す使命があるのではないか。
栗原 猛( 元共同通信記者)

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