ロンドンレポート  英国総選挙とEU離脱交渉

0703a 2017年6月19日、英国政府はEUからの離脱のための協議を開始した。周知のとおり、英国政府の戦略は協議の開始前に大幅な修正を余儀なくされている。与党保守党が自ら打って出た総選挙で「大敗」を喫してしまったからである。
投票日の翌日の新聞各紙はメイ首相の思惑が大きく外れたことを見出しで伝えた。The Times「メイの大博打の失敗」、The Daily Telegraph「メイの賭け、失敗に終わる」、大衆紙The Sunに至っては「Mayhem(メイの引き起こした大騒乱)」と書き立てた。他方でリベラル系のThe Guardianは「コービンが保守党に一撃」、Daily Mirrorも親指を立てて満面の笑みのコービン労働党党首の写真を大きく掲載した。
あたかも労働党が大勝したかのような紙面だが、純粋な結果としては、与党保守党の勝利である。最終的な結果は総議席数650に対して保守党が318議席、労働党が262議席であった。とはいえ、選挙前に保守党は単独過半数の331議席を持っていた。そこからさらに議席を大幅に積み増す当初の思惑が外れ、過半数割れにまで落ち込んだ結果はやはり「惨敗」と評価すべきであろう。
0703b 4月に議会の解散に打って出たメイ首相の判断に異を唱える声はほとんど聞かれなかった。実際に、5月の地方選で保守党は文字通り地滑り的な勝利を得た。続く総選挙に向けた保守党の勢いに弾みがついたかのように見えた。一方、労働党は地方選で壊滅的な状況であった。党首であるコービンの指導力に党内から疑問の声が強くなった。この地方選の結果を受けたBBCの街頭インタビューで労働党から鞍替えしたという初老の男性が「コービンは個人的には良いやつだと思うけど、党首としての魅力がない」と答えていたことが印象に残った。
状況はわずか一か月で急転した。保守党の敗北の原因についてはすでにさまざまな要因が指摘されている。選挙戦でマニフェストに掲げた社会保障制度の改革が大きく批判され、撤回したこと、メイ首相が他党との論戦の場を避け続け、イメージを悪化させたこと、そして選挙期間中にテロが二度発生し、メイ首相が内務大臣時代に警察官の人数を大幅にカットしたことが批判された。それに加えてコービン労働党の再配分を強調したマニフェストに多くの人々が魅力を感じたことも事実であろう。
それでも主流メディアを中心にした選挙期間中の反コービンキャンペーンが際立っていた。非常に露骨だったのはthe Sunで、コービンがテロリストの仲間であるかのような記事を掲げ(6月7日)、投票日にはごみ箱の中から顔をのぞかせるコービンのコラージュ(Cor-bin)を1面に展開した。BBCは6月2日にメイとコービンを招いた有権者参加型の公開質問番組を放送した。BBCの司会者はコービンに対しては自ら厳しく質問をし、過去のIRAのテロリズムに対するコービンの姿勢を批判することで会場の保守派有権者の質問を誘導しているように見えた。
こうした主流メディアの多くが見逃していたのが若者たちの動向であった。18歳から24歳の若者の7割近くが投票したというデータもある(the Times 6月10日)。そして若者たちがコービンを支持したと分析されている。ソーシャルメディアがこれらの層の投票行動や政治意識に影響を与えたとされる。ソーシャルメディアに依存する若い世代には主流メディアの反コービンキャンペーンが届かなかった(あるいは届いたとしても影響されなかった)ととらえることもできよう。
若者たちを投票へ向かわせた動機は何か。それは世代間の格差に対する「怒り」とも、将来に対する「不安」とも言われている。実際にそれを裏付ける確実なデータはまだ出ていないが、EU離脱を問う国民投票の投票率が低かったこの世代が何らかの意思表示の必要性を痛感したことは確かであろう。とはいえ、選挙前までの新聞やテレビでは若者たちの声は伝わってこなかった。在外研究で渡英してからわずか2か月の身としては、そうした若者たちとのつながりもない。「異邦人」の目からは、選挙後、唐突に若い世代の「怒り」や「不安」が注目されるようになったように見える。
しかし、思い返してみると、兆候は選挙前からロンドンのあちこちに存在していた。例えば、地下鉄の車内広告に「Vote Labour」とボールペンで書かれた落書きを見た。信号待ちの間に信号機にふと目を向けると「Don’t vote Tories」というステッカーが貼られていた。若者たちはソーシャルメディア、あるいは落書きやステッカーといった文字通り多様なメディアを通じて「怒り」を表明していたのである。
7年間の保守党政権に対する「怒り」は目下、6月13日に発生した低所得者層向けの高層マンション火災でより一層激しいものになっている。若者や貧困層の「怒り」や「不安」にどのように対応するのか、という点もEU離脱交渉の行方に影響を与えていくと思われる。
山腰 修三(慶應義塾大学 准教授)

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