自著を語る「21世紀の格差」2 若者を優遇しなければ一億総活躍社会は来ない

 総裁選を終えた安倍首相が突如唱え始めた1億総活躍社会は、きわめて評判が悪い。たとえば、新3本の矢は、1)希望を生み出す強い経済、3)安心につながる社会保障の3つは、いずれも矢というよりも的ではないかというもので、安保後を経済成長で人気回復した池田内閣をまねた政策に過ぎないというものだ。
実は、筆者も『21世紀の格差』の中で、女性も、ハンディをもつ若者も、誰もが70歳まで働き続ける社会を目指せといっており、ある意味で「1億総活躍社会」をうたっていた。
「1億総活躍社会」は、希望出生率(出産を望む女性のみを対象に算出)の1.8までの引き上げをうたっているように、将来人口としても1億を保とうというものだ。
国家が国民、領土、国家制度から成り立つとすれば、人口が亡くなるということは、国の滅亡だ。したがって、急性の人口減、たとえば東ベルリンから年率40万人の流出に対しては、東ドイツはベルリンの壁を築くことによって阻止し、その後の東ドイツを「奇跡の5%経済成長」の軌道に載せることができた。1980年代初頭のニュージーランドの年率0・5%を超える国民の流出には規制を撤廃することで食い止め、成長へと転換させた。
日本の場合は慢性人口減だ。これを日本は少子高齢化社会だととらえ、手をこまねいてきた。だが、いよいよ追い詰められてきた。そこで、筆者は、アベノミクスのミッションとは、慢性の人口減少への処方箋を書き実行することだという見方を提示してきた。つまり、ゆでガエルにはなってはならないのだ。
ところが、人口13億余をもち、1人子政策をやめ2人子政策に転じた中国でも、1億総活躍社会をうたう『21世紀の格差』が上海社会科学院の出版部から翻訳出版されることになった。その意味を問えば、人口減少の中で、活性化した社会を保つにはどうしたらよいのかを本書に見出そうとしたのだろう。

少子高齢化をもたらしたものは、日本社会が若者を虐待していることだ。ところが少子化対策大綱では、歴代内閣も、安倍内閣も、ポイントをはずしたままだ。若者虐待こそが若者の非婚や晩婚を促しているのだ。結婚できる若者とできない若者こそが「格差問題」の核心で、少子化現象とは後者のグループが増えたことなのだ。
ピケティは、トップ1%、10%に焦点を合わせながら格差問題を論じた。これに対し、筆者は日本では、「正規・非正規労働の格差」が大問題だと考える。若者を虐待し、少子化現象を促す意味合いがあるからだ。だが、問題はそれにとどまらない。正規で雇い入れた若者に対しても、終身雇用という制度が事実上消滅しているにもかかわらず、年功序列型の賃金体系を維持し、若者に対して「賃金を後ほど支払いますよ」という空手形を切る、半ば詐欺行為をしていることだ。年功序列賃金体系とは1955年に誕生した『春闘』体制なのだ。『春闘』体制には、いまやほんの一部に過ぎない人にしか適合しない若者をいじめる制度に変わりはてている。所得税制も社会保障制度もその一環だ。
若者をあるべき位置に配置しないで1億総活躍社会はあり得ない。正当性を持たない基盤の上に国は建てられない。

「春闘』体制をぶち壊し成功したスウェーデンにならえ
春闘が始まった1955年には働くもののライフサイクル・プランの道しるべだった。だが現在の春闘は働くもののライフサイクル・プランを阻害するものに堕している。春闘をこそリストラしなければ1億総活躍社会は実現できないのだ。
日本の『春闘』体制とほぼおなじシステムを持っていた国にスウェーデンがある。1990年に冷戦が終わるまで日本経済、スウェーデン経済ともに、同じくらいに好パーフォーマンスを示していた。どちらの国もバブルが崩壊し、金融危機に陥った。
「春闘』体制をぶち壊したスウェーデン経済はその後も好パーフォーマンス、財政再建も果たした。「春闘』体制を温存した日本はご覧のごとくだ。日本企業が冷戦後の競争力を大幅に落ち込ませた結果が非正規労働者の増加なのだ。経営者はそれで辻褄合わせをしているのだ。
経済学の用語を使って言えば、労働者を生産性の高いところに移動させるシステムができたかどうかが両国の明暗を分けたのだ。つまり、スウェーデンで金融危機を短期間で切り抜け、「春闘」のリストラができたのは、働を生産性の高いところに移さなくては多国籍企業、ひいては国家が成立しないことを肌で感じ、競争力を失った企業を退出させ、労働者がそこで失った職を別の生産性の高い企業に移動させるという仕組みを受入れたからだ。
これに対し、日本では冷戦が終わる寸前に同盟と総評が大同して総同盟が誕生していて「春闘」のリストラをすべき時に、「春闘」の温存を図る政策を志向したのである。そして経営者も、政府も雇用を守ろうと合意し、雇用を守った企業に優先して銀行融資が受けられるよう図ってきた。その結果が競争力の低下、非正規雇用の増加だったのだ。
だが、少子高齢化社会には、人生の二毛作、三毛作が必要だ。とすれば、「雇用維持型から労働移動支援型へ」いう流れを促進すべきではないか。そのためには、スウェーデンにならって、単に市場だけでなく、スキル・知識を磨きなおすための訓練校やその他のファシリティの充実が欠かせない。日本社会には、そうした転換への情勢変化が起こっている。                         評論家 高橋琢磨

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