水深44mからのメッセージ~セウォル号事故と報道姿勢~(上)

6 (2)2014年4月16日、韓国南西部のチンド(珍島)沖で、旅客船「セウォル号」(6825トン)が沈没した。乗客・乗員476人のうち、修学旅行の高校生ら295人が死亡、依然9人が行方不明となっている。その船体は今、水深44mの海底に横たわっている。
セウォル号の事故では、海洋警察による救助活動の不手際が相次いで明るみに出て、厳しい批判を浴びた。また、船長らいわゆる「船舶職」の乗員15人が救助活動を怠ったまま全員救助され、その無責任な対応に遺族の憤まんがいっきに高まった。さらに、沈没の原因が明らかになるにつれ、海の安全を守るべき関係当局が利益と効率を優先させる海運業界と癒着し、海や船舶の安全対策をないがしろにしてきた構図も浮かびあがった。
事故から1年の日、韓国では全国120か所以上で追悼式が行なわれた。事故現場に近い珍島の港には、外遊を控えたパク・クネ(朴槿恵)大統領も弔問に訪れた。しかし、希望した遺族との面会はできず、焼香もかなわなかった。生徒が犠牲となった高校のある安山市では、遺族がイ・ワング(李完九)首相の弔問を拒否。追悼式そのものが中止となる異例の事態となった。
今なお、事故の真相解明を強く求める遺族。朴政権との間には大きな溝のあることが改めて浮き彫りとなった。セウォル号事故が問いかけたものは、あまりにも多い。韓国社会の「安全意識の希薄さ」、海運行政をめぐる「官民癒着」の長年にわたる構図などと並び、何の罪もない娘や息子、肉親を奪われた遺族にどう向き合ったのかという「報道姿勢」も見逃すわけにはいかない。
筆者は、事故当時、韓国KBSの国際放送「KBSワールドラジオ」の日本語班で、「校閲委員」の立場にあった。校閲委員とは、KBSや通信社のニュースから作成した日本語原稿を校閲するのを主な業務とする。そのニュースの現場から、韓国のメディアがセウォル号事故にどう向き合ったのかを見守ってきた。本稿では、この事故に対するKBSの報道姿勢をめぐって沸き起こった論議について、ジャーナリズムの観点から検証したい。   
まず、セウォル号の沈没事故の発生当時を簡単に振り返る。2014年4月16日の午前9時過ぎ、筆者はニュース原稿の校閲に取り掛かっていた。居室のニュース専門チャンネル・YTNのテレビ画面から、洋上に浮かぶ大型旅客船の映像が目に入った。望遠レンズで捉えた映像だった。旅客船・セウォル号が浸水し、救助を求めているとの情報がすぐに入った。救助のための船舶やヘリコプターなどは確認できず、最悪の事態を予感させるものはなかった。一転、船体の傾きが分かった。また、「修学旅行中の高校生が300人以上乗船しているらしい」との情報に、得も言われぬ胸騒ぎを感じた。船体は30度、45度と徐々に傾きを増す。横倒しに近い状態になって、救助作業が始まった。断片的な情報だけで、何とか一報を出稿。セウォル号は、事故を知らせる最初の連絡から1時間25分後の10時17分、船首の一部をわずかに残しながら水没した。
沈没に至るまでの時間はあまりにも短かった。修学旅行中の高校生の安否が一層気にかかる。正午前、海洋警察が「高校生は全員救助」との情報を発表。多くのメディアが速報スーパーで伝えた。筆者はセウォル号の船体が刻々と沈む映像を見ていただけに、とても信じがたい情報だった。すぐに誤報と判明する。その後も、乗客・犠牲者・行方不明者の数はしばらく定まらないままとなった。
事故発生当初、確かな情報を提供しきれなかった取材や報道姿勢は、すぐに厳しく問われることとなった。その端緒は5月に入ってすぐのことである。KBSのキム・シゴン(金時坤)報道局長が4月末、「交通事故の死者数と比べれば沈没事故の犠牲者はさほど多くない」と発言したとして、KBSの労働組合の一つが3日、遺族への謝罪と辞任を求めた。7日には、KBSの若手記者・カメラマン40人あまりが社内のイントラネットに、「セウォル号の事故取材に関連し、反省します」との反省文を掲載した。事故の報道姿勢を自ら問うものだった。8日、遺族らがKBSに押し掛け、キム報道局長の謝罪と辞任を要求。翌9日、キム局長は記者会見し、「事実とは異なる」と釈明しながらも辞意を表明した。
しかし、事態はこれで収まることはなかった。キム局長は、記者会見の席上、キル・ファニョン(吉桓永)社長が「権力の顔色を伺い、報道本部の独立性を侵害した」と発言し、キル社長の辞任を求めた。この発言により、KBSの報道姿勢をめぐる論議は、遺族にどう向き合うのかという問題から、報道に対する政治介入の疑惑へと発展していく。
羽太 宣博(ジャーナリスト)
<下につづく>

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