御巣鷹から30年 あの大事故の教訓を忘れるな

 フランスで3月24日、ドイツ旅客機の副操縦士が乗員乗客計149人を道連れにして故意に墜落事故を起こした。4月14日には広島空港で韓国アシアナ航空の旅客機が着陸に失敗し、25人がケガをする事故が発生した。
 「空の安全」が気になるが、今年は1985(昭和60)年8月12日に日本航空のジャンボ機が御巣鷹の尾根(群馬県上野村)に墜落してちょうど30年になる。単独機の事故としては世界最悪の520人もの命を奪った大事故。御巣鷹の事故を振り返りながら全日空の元機長で航空評論家の前根明さん=写真=に「空の安全」について聞いた。
 前根さんは1940(昭和15)年2月15日に台北に生まれた。現在75歳。東京大学で建築学を専攻したが、中退して航空大学校(宮崎県)に入学。幼少のころから夢だったパイロットを目指した。
 1964年に全日本空輸(ANA)にパイロットとして入社。アメリカの国家運輸安全委員会(NTSB)の事故報告書などを参考にしながら世界の空で起きた約100件の航空事故を分析し、10冊以上の本にまとめてきた。2000(平成12)年にANAの機長を退いた後は、航空評論家として活躍している。
 前根さんは「操縦桿が効かなくなったときにどうやって切り抜けて脱出するのか。それをあの事故の乗員は知らなかったのだと思う。知っていれば520人もの死者を出さすに済んだかもしれない」と話し、その理由を「なぜこんな偉そうに言うかといえば、ちょうど御巣鷹の事故の1年前、私はANAで発行した『事故からの生還』という本に同様の事故からうまく切り抜けたケースを書いていたからです」と説明する。
 それはこんな事故だった。1965年12月4日のニューヨーク。ボーイングのB707とロッキードのコンステレーション(垂直尾翼が3枚あるプロペラ機で、愛称「コニー」)が空中衝突してコニーは水平尾翼と垂直尾翼が壊れ、操縦不能に陥る。垂直尾翼が吹き飛んで操縦不能になってダッチロールを引き起こした御巣鷹の事故と似ている。
 「コニーはエンジンの出力を上げたり下げたりするパワーの操作だけでみごと原野に不時着して生還できた。エンジンのパワーを上げると、プロペラの回転数が上がって揚力が生まれて機首が上を向く。パワーを絞ると今度は機首が下を向く。機体をなんとか操縦しようといているうちにコニーの機長がそれに気付いた。左右への方向転換は右翼と左翼のエンジンパワーを互い違いに上げたり、下げたりしてやればよかった」
 日本ではこの事故があまり知られていなかった。前根さんはまず1981(昭和56)年にANAの世界の事故をまとめた『航空ダイジェスト エンルート編』に入れて解説しその後、1984年の『事故からの生還』にも入れた。
 「この本はANAだけでなく、JALやJAS(日本エアシステム)などのパイロットにも配布していた。御巣鷹の事故の機長がこれを読んでくれていればもっと早い段階でエンジンパワーのコントロールだけで操縦できることに気付いたはず。そうすれば海岸に不時着するとか、羽田空港に戻ってくるとかできたと思う。そう考えると、残念でならない」
 御巣鷹の事故の機長は墜落直前になってエンジンパワーのコントロールに気付く。ボイスレコーダーの終わりの方には「エンジンを絞れ」「ふかせ」という機長の声が入っていた。
 御巣鷹の教訓は4年後にアメリカでみごとに生かされる。1989年7月19日、アイオワ州スーシティーでユナイテッド航空の旅客機が事故を起こした。機種はマクドネル・ダグラスのDC10。3つあるエンジンのうち垂直尾翼の下にあるエンジンが故障して爆発した。そのエンジンの破片でハイドロ(主翼の補助翼など動かす油圧駆動システム)がすべて駄目になって操縦桿が効かなくなった。状況は御巣鷹の事故と同じだった。
 この事故機にシュミレータ(模擬飛行装置)の教官がたまたま乗っていた。教官はシュミレータを使って御巣鷹のような事故がDC10で起きたらどう対応すべきかを研究していた。そしてコックピットに入った彼は機長や副操縦士、航空機関士と協力して主翼の2つのエンジンのパワーをうまくコントロールしながらみごとスーシティーの空港に不時着した。
 「乗員乗客合わせて296人が乗っていたのですが、そのうち6割以上の185人が助かっている。すごいと思いませんか。御巣鷹の教訓がこの事故で生きたのです」と前根さん。
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 航空評論家、前根明さんのインタビューの詳細を産経新聞の「話の肖像画」欄で5月11日から計5回に渡って連載する予定です。
木村良一(産経新聞論説委員)

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