客観報道と民主化プロジェクト ーインドネシア・ジャーナリズムの現状ー

 インドネシアには報道の日がある。祝日ではないが、同国の闘争的なジャーナリズムの歴史を語るうえでは記念すべき日である。
 報道の日の制定には歴史的な背景がある。1946年2月9日、インドネシア共和国の勢力下にあった中部ジャワの古都ソロで、インドネシア・ジャーナリスト協会が結成された。当時のインドネシアは、1945年8月17日にスカルノが独立宣言を発したもののオランダがそれを認めず、オランダとの独立戦争の最中にあった。ジャーナリスト協会には対オランダ闘争を支持するジャーナリストが集結し、かれらは団結して民族独立、民主主義を代弁する人民の声としての新聞を発行し続けた。
 このような歴史があるために、1998年5月に、32年間にわたる独裁的統治を続けていたスハルト体制が崩壊し民主化が開始されると、報道の日は言論の自由という民主主義の象徴として改めて記念された。しかし、ことしの2月9日はそれまでとは異なる様相をみせた。当日の日刊紙面では、闘うジャーナリズムの伝統を明示した記事はきわめて少数派であった。放送メディアでは言及すらないというあり様であった。
 なぜこうした事態に陥ったのか。それは端的にいうと、ジャーナリズムの政治的中立性が疑われ、客観報道なる言葉が現実味を帯びなくなった状況を反映している。1998年半ば以降、政治的自由が拡大するのと軌を一にして、報道・言論の自由も拡大した。象徴的であったのは、1999年9月に施行された新報道法であり、政府の検閲や発禁処分の恐怖から解放されたメディア産業は急激に発展した。日刊紙や週刊誌、タブロイド紙が街に溢れ、テレビやラジオ局も激増した。政治に関連する討論番組やトーク番組が連日のように放送された。政治家やエリートの汚職や権力腐敗に対する庶民の声もメディアに乗るようになった。市井の民が政治を自由に語る空間が登場したとの期待が高まった。
 ところが、国際的な民主化支援のもとにあったインドネシアには、新自由主義政策が定着することになった。メディア産業の自由化は資本力にものをいわせる実業家のメディア産業への進出を誘発した。大資本による地方紙の系列化をもたらし、野心的な実業家がテレビ局を創設し、自分の支持する政治政党を優遇する報道チャネルが出現した。この傾向は、2004年から開始された直接大統領選挙の前哨戦から激しくなった。2000年代後半になると、主要政党がお抱えのメディアを有する事態になった。
周知の事実として、闘争民主党首メガワティの側近であるスリオ・パロは日刊紙『メディア・インドネシア』とMetro TVの経営を牛耳り、ゴルカル党首のバクリーはTV Oneの筆頭株主である。各紙・各局が「支持」政党や政治家に有利な報道をする事態を招いた。選挙をめぐる中立報道に暗雲が立ちこめた。
 3回目となる直接大統領選挙があった2014年の例をとると、その異常さは際立つ。この選挙はジョコ・ウィドド(ジョコウィ)候補とプラボウォ候補の一騎打ちであった。前者は闘争民主党を支持母体としていたのでMetro TV、後者はゴルカル党の支援を受けていたのでTV Oneをメディア戦略として活用した。選挙前の世論調査では、各紙や各テレビ局が正反対の調査結果を公表することも頻繁に起こっていた。挙げ句の果ては、7月の大統領選挙に関して、TV Oneは劣勢の伝えられていたプラボウォ陣営の勝利を報道した。選挙管理委員会が公表した選挙結果ではジョコウィ陣営が勝利したが、プラボウォ陣営は不正があったと選挙結果に異議申し立てをした。またジョコウィ大統領が就任したあとも、国家警察長官人事が政局となり、それぞれの陣営がメディアを動員して真っ向から対立した。政治の自由化と言論の自由化が、いつの間にか政治にとっての報道という事態をインドネシアにもたらしたのである。
 これにはインドネシア選挙政治の質的変化が関連していた。すなわち、政治的自由化とともに進展した選挙政治のアメリカ化である。国際的な民主化支援はなによりも公正で自由な選挙を定着させることに主眼がおかれた。それは、選挙ごとに国際的な選挙監視団が大挙してインドネシアを訪れた事実にも表れている。ところが、選挙政治をめぐっては候補者のイメージづくり、メディア戦略、世論対策などが重要な要素となる。そこに選挙ビジネスが成立し、選挙戦略担当や広報・PR担当者が暗躍するスペースができた。その大半はアメリカの大学や大学院で政治学、広報・PRや統計学の学位を修め、アメリカ的な選挙政治に通じていた。こうした専門的な知識と技術は、メディアの寡占化と主要政党との密接な関係という特殊インドネシア的な状況と相まって、客観報道の空洞化を促進したのである。
 民主化プロジェクトとして展開した民主化支援ビジネス、選挙ビジネスなどという政治のビジネス化の帰結として、インドネシアは客観報道の危機に瀕している。

山本信人
慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所・所長  

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