「リスキリング」の欺瞞性 「学び直し」を考える

 社会人の「学び直し」が注目されている。このほど成立した2022年度第2次補正予算では、「構造的な賃上げ」実現を謳い753億円が「リスキリングを通じたキャリアアップ支援事業(仮称)」に振り向けられた。政策としての「学び直し」とは何か。経済再生に実効性はあるのか。2014年から大学院に通う社会人の一人として、その内容を検討したい。

■人材ビジネス会社の影
 「リスキリング」とは、経済産業省サイトに掲載されたリクルートワークス研究所のプレゼン資料(2021年2月26日付)によると、「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に対応するために、必要なスキルを獲得する/させること」という。
 第二次補正予算に計上された事業は、「キャリア相談、リスキリング、転職支援までを一気通貫で支援する仕組みの整備を通じて、リスキリングと労働移動の円滑化を一体的に進める」と説明されている。新たに基金を設け、主にデジタル分野のスキルを習得した人の転職を支援したり、研修を行った事業者に補助金を出したりすることが想定される。「学び」というより「研修」の色彩が強い。背後には、人材ビジネス会社の存在がチラつく。
 新型コロナウイルスの感染拡大は、国境を越える人やモノの移動を制限する一方、デジタル技術を用いた情報利用のニーズが高まった。ロシアによるウクライナ侵攻は、空前の物価高騰をもたらしている。感染者数集計やリモートワーク導入は行政機構や企業内のデジタル対応が進んでいないことを、燃料費高騰は脱化石燃料という地球規模の課題に対応が遅れている日本の構造的な問題を露呈させた。
 経産省資料は、「構造的な賃上げの実現に向け、労働移動とデジタル分野等のリスキリングへの投資を進め、持続的な成長と分配の好循環の達成を目指すことが必要」と謳っている。「学び直し」を条件に収入アップを図ることで「DX」や「グリーン」といった分野への労働力移転を目的とするものとみられる。
 
■「新しい資本主義」の柱
 そもそもなぜ今「学び直し」なのか。今世紀に入って最初にブームになったのは2012年ごろ、海外有名大学が次々と公開オンライン講座を始め、社会人の受講が増えた。2016年には経済学者リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットによる『LIFE SHIFT―100年時代の人生戦略』がベストセラーとなった。「教育→仕事→引退」という人生から「マルチステージ」型の人生へと移行する時代には、社会の変化に対応する「見えない資産」を育むことが必要であるという文脈から「学び直し」が注目された。
 国内の政策系コンサルも「プラチナライフ」として、学び直しを含む「人生100年時代」のビジョンを策定した。背景には少子化による若年層の労働力減少と高齢化による社会保障費の増大といった課題も見て取れる。
 政策課題として浮上したのは今年1月、岸田文雄首相が所信表明演説の中で、「新しい資本主義」の柱の一つとして「人への投資」を打ち出したことによる。岸田首相自らが議長を務める「教育未来創造会議」は5月、成人学習参加率の高いほど時間あたり労働生産性が高いというOECD資料を参照し「社会人の学びは労働生産性向上につながる」との認識に基づき、「学び直しの成果が適切に評価される仕組みを整え、誰もが生涯にわたって意欲を持って学び続けるための支援や環境整備を行う」ことを打ち出した。
 具体的施策としては、「大学講座等で学び直し、好成績を修めた従業員に対して報酬や昇進等で相当に処遇する企業への新たな支援策の創設」や「個人の学び直しプラン策定からキャリアアップのためのコンサルティング・コーティングの実施、その後の伴走まで一気通貫で行う仕組みの創設」などが謳われている。文科省は来年度予算の概算要求に大学などで学ぶリカレント教育を社会実装するための調査費など1億円余を計上した。第二次補正に計上された経産省の施策は、後者を具体化するものと考えられる。

■「リスキリング」へと移る重点
 全国紙各社の記事データベースを検索すると、「リカレント教育」に関する記事は9月まで、10月以降は「リスキリング」についての記事が急増する。補正予算に向け検討の重点が「リスキリング」に移ったことが背景として考えられる。
 リカレント教育とリスキリングの違いは何か。先述のリクルートワークス研究所資料は、リカレント教育が「個人の関心に基づきさまざまなことを学ぶこと全体をよしとする言説が多く、離職や休職が前提になっている」のに対して、リスキリングは「これからも職業で価値創出し続けるために必要なスキルを学ぶ点が強調される」ことと解説している。
 この認識が政策決定に影響を与えているなら、異を唱えずにいられない。私は2014年に東京大学大学院学際情報学府の修士課程に入学した。東日本大震災で被災した地域に通ううち、復興にまつわる多様な人や組織の対話について記録し、構造的に記述したいと考えた。現在も在職のまま博士課程に在籍し、知識基盤の異なる主体間のコミュニケーションについて研究している。周囲にも社会人学生は多い。
 まずリカレント教育が「離職や休職を前提とする」という認識は現状に即していない。また大学院は研究の場であり、研究というものの特質上、テーマこそ絞り込んだものになるが、身につけた資料やデータを集める力、調査・分析するスキルには汎用性がある。専門領域や隣接領域の授業を履修することで、ものごとを認識するフレームがアップデートされた実感がある。デジタル情報を扱うスキルも、息子と同世代の学生と共同ワークをする中で自然と身についてきた。「時代の変化に即して価値を創出し続ける力」は、小手先の研修ではなく、リカレント教育で培われるものだと考える。

■社会的包摂支える学びを
 ただし、リカレント教育にも問題はある。まず機会の問題がある。日本の大学・大学院の学費は1980年代の倍ほどに高騰している。企業から学費支給や勤務配慮などのサポートがあるケースは少ない。勤務に融通のきかない職場や、子育てや介護などの負担を抱えた人が仕事と学業を両立させることは負担が大きい。そうしたことを考えると、高収入かつ福利厚生制度の整った大企業勤務の人がより多くの学びの機会を得ることとなり、新たな格差拡大につながりかねない。加えて、新卒採用・メンバーシップ型雇用の日本企業では、学んだ成果や専門性を評価する仕組みがなく、採用や昇給、処遇改善につながらないことが学びの意欲をそいでいるとの指摘もある。
 次に「学び直し」全般の問題として、「労働生産性向上」や「DX」「グリーン」など、政府や企業の目的に沿った分野に「学び」の対象が限定される傾向がある。日本経済に活力を取り戻すには、社会の変化を見越して新たな知を創造できる人を育成することが必要ではないか。だとするならば自由な発想に根ざす多様な学びこそが、知の生態系を豊かにすると考える。ところが現在、そうした学びを支える大学では企業ニーズを意識した「改革」が、図書館や博物館などの施設ではサービス低下や職員(司書、学芸員など)の非正規雇用化が進んでいる。真の社会ニーズに逆行していると言わざるをえない。
 最後に、「学び直し」はあくまで権利であり義務ではない。プログラムに参加しなかったり十分な成果を出せなかったりした時に「自己責任」圧力を加え、働く者を選別する材料として「学び直し」が使われるのではないかと危惧する。経済再生には、希望する人が学び直しできるよう社会の仕組みを整えることと同時に、すべての人に居場所と役割のある社会の実現が必要だと考える。
 今回の補正予算は歳入の8割、22.8兆円を国債の追加発行に依存している。総額は東日本大震災後の2011年度に行われた3回の補正を合わせた額を超え、国債発行額は2倍に上る。「人への投資」の美名の下に、災禍便乗型歳出を繰り返してはいけない。すべての人が個々の動機に応じて自由に学ぶことのできるインフラ整備や、ゆるやかに支え合い学ぶ場の創設や支援をともなってこそ、しなやかで強靱な未来へとつながることを強調したい。
中島 みゆき(毎日新聞記者、東京大学大学院生)

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