「ミニ・ゼミ」修了生からの報告・抱負~卒業ランチ会から~

 3月も末の28日、慶応義塾大学メディアコムを修了したばかりの3人の卒業を祝い、卒論の報告を聞3月も末の28日、慶応義塾大学メディコムを修了したばかりの3人の卒業を祝い、卒論の報告を聞く会。研究所でジャーナリズムを目指す研究生を対象に、メディアコムの前身である新聞研究所時代に籍を3月も末の28日、慶応義塾大学メディコムを修了したばかりの3人の卒業を祝い、卒論の報告を聞く会。研究所でジャーナリズムを目指す研究生を対象に、メディアコムの前身である新聞研究所時代に籍を置いたOBOG・綱町三田会の有志が、研究所の教授らも共に開いてきた「ミニ・ゼミ」の締めくくり。コロナ禍のために、2カ月に1度の会も、今年はリモート方式で進められてきただけに、リアルで話を聞いたり、語り合うのは初めてだった。
 卒業メンバーは、いずれも法学部政治学科の学生で、研究所では大石裕研究会所属の松山泰斗君、山本信人研究会の島田早紀君、鈴木秀美研究会の中川翼の3君。松山、島田の両君は4月から共同通信社へ、中川君は東京大学の大学院へ進む。
 それぞれの卒業論文については、各自に短く取り組みを含め書いてもらっているので、報告を聞いた感想を少し記しておく。リアルの場でのやりとりに、テーマへの思いや、取材での裏話など、細部の話が面白いものだ。中川君の学究的なテーマは、現代の「ブレグジッド」にも通じる話なのだろうが、私の理解を越えた。主に「体当たり」取材の2君の話の番外編。
 松山君。北海道出身。上京してクラスメートが「日本は単一民族」と語るのに違和感を覚える。アイヌも琉球もある。沖縄には米軍基地が、北海道には自衛隊基地が集中。北海道・沖縄開発庁と括られる両者。北海道と沖縄には多くの共通点があった。それ以来、沖縄への興味・関心が強まり、長い休みには沖縄へ。1泊1000円のカプセルホテルに泊まって、辺野古へ足を運んだ。普天間飛行場移設への思いを聞けば、政治的立場を変遷させた人や若い人。同じ名護市内といっても、置かれた立場で違ったり、遷移する反応。終戦直後から返還までの占領時代を体で知る人たちと、生まれた時から基地に囲まれて育った若者世代の意識の乖離。当事者の話を聞き、年代によってもある温度差を感じたという。「沖縄を返せ」の歌を沖縄の人たちが「沖縄を返せ」から「沖縄に返せ」と歌詞を変えて歌う現実。返還前に「返せ」を歌った経験もある高齢OBとしては、懐かしくはあれ、いまの若者に当時の実感がある訳がない。
 島田君。ウクライナの現実がある今、気になるボスニアの「難民」についての話は、今日的でもあっ島田君。ウクライナの現実がある今、気になるボスニアの「難民」についての話は、今日的でもあった。研究への端緒は、内戦から27年という時間が経って、なお「故郷」へ戻れない「難民」がいるのか、という一点。現地に滞在しても、なかなか避難したまま集住している場所すら分からず、苦労をしたようだ。5つの民族、4つの言語、3つの宗教を持つ人たちがモザイクのように暮らしている中での内戦中に行われた「民族浄化」なる、血で血を洗う戦闘が残した後遺症にその元があった。さらなる争いを避けるためか、互いの避難地は隠匿されているという訳。グーグルの地図上にも、その在りかが明示されない。そのなかで、山の奥に所在することを知り、彼らの心的後遺症と取り組んでいるNGOの伝手で、やっと現場へ出かけて難民の当事者の話を聞くことができた、という裏話。その帰途、外ポケットに入れていた携帯電話が盗まれ、撮りためた映像もなくなったという厄災の話。そんな話にリアリティーがあって面白かった。
 報告の後、昼食を摂りながら、これからのメディアが置かれている状況の厳しさをこもごも。取材のなかにも、さらに進んでいくデジタル化。紙が減って、地方取材網をカットしていく大手新聞社、そのなかで手が回らなくなっている記者教育。やめていく記者たち……。これから巣立つ若者を前に、景気がよい話にならない一方、それに引き替えれば、我々世代の現役時代というのが、随分と幸せな時代であったことか、とも思ったりした。
以下、3君の卒論テーマと、中身や取り組み、そして抱負を、ご自身の寄せた文でーー。

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松山泰斗君 テーマ「沖縄地元紙と在京紙の報道比較 ―主権回復の日の式典を事例としてー」と「辺野古の新基地建設反対運動はどのようにして28年間継続されてきたか」
 大学生活では1年生から一貫して沖縄の歴史と基地問題ついて見聞を深めてきました。文献収集はもちろんのこと、安い飛行機を探し、カプセルホテルに宿泊しながら現地に何度も足を運びました。戦争経験者の方や基地に対して複雑な想いを抱える方々にインタビューをしてゆく中で困難にぶつかった時、ミニゼミでOBOGの皆さまからたくさんのアドバイスをいただきました。おかげさまで、基地問題をテーマにした2本の卒業論文、合わせて約6万文字を無事執筆することができました。あっという間に大学生活が終わり、遂に社会人となります。ミニゼミの学んだことをしっかりと活かし、タフで心優しい記者になりたいです。最後になりましたが、この3年間、たくさんのご指導をいただきました塾員の皆さまに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
 

「ベトナム戦争の頃の賑わいの跡が今も残っている現在の辺野古区」

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島田早紀君 テーマ「難民をつくり出す政治権力
ー駒とされた「ボスニア人」ー」
 内戦終結から2021年12月14日で27年が経過したボスニアには、未だに10万人の国内避難民が存在する。彼らのような人々はこれまで「マイノリティ難民」と定義され、現地調査を通じてその悲惨な境遇が明らかにされてきた。一方で、彼らがこれまで難民として長らく生きざるを得なかった本質的な理由については論じられてこなかった。そこで、論文では「どのように難民がつくられるのか」を問いに掲げ、マイノリティの難民を取り巻く権力構図と、その権力がいかなるものなのかを明らかにしていった。具体的には、マイノリティの難民に対して実施されてきた政策を整理した上で、現在も国政を司る民族主義指導者の観点とボスニアを取り巻く国際社会の観点の両側面から「難民を難民たらしめてきた権力」の本質を紐解いていった。最後に、双方の権力の結節点として、現在まで続いてきたUNHCRによる帰還重視の難民保護政策とその問題点について指摘している。論文執筆後には、ボスニアに1カ月程滞在し、関係者への取材を試みた。特に、辺鄙な山道の途中に存在する難民キャンプに足を運んだことは、机上では知り得ない事実を掴めた貴重な経験になった。足で稼ぐ一人前の記者になれるよう、愚直に、かつ自分のペースで日々を積み重ねていきたい。

ボスニア連邦側の都市バノヴィチの郊外。約600棟の住居に今なお100人程の国内避難民が住む。小さな子どもの姿も見られ、難民キャンプの中で世代交代が進んでいる。

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中川翼君 テーマ「アイルランド自由国の対外政策およびブリテン帝国の変容」
 概説書において、アイルランドの対外政策は、「共和国」への道程としてのみ語られる傾向がある。卒業論文では、これを一面的な見方であると批判した上で、世紀転換期から大戦間期におけるブリテン帝国の変容と関連づけながらアイルランドの対外政策を論じることを試みた。その結果、アイルランドの対外政策のレトリック辞としてブリテン帝国の枠組みからの離脱よりは、むしろその改良を志向し、それはカナダや南アフリカといったほかの自治領と軌を一にしていたことを明らかにした。このことは、当時の対外政策を「共和国」への道程という、1949年の共和政移行を自明視し、収斂させることの問題点とアイルランド史をブリテン帝国史の文脈のなかで論じることの重要性を示すものである。
文責 高原安(元朝日新聞記者)

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