シリーズ「5年後、コロナ後の世界」 Ⅶ 「自国、中国の大手IT企業を叩く習近平総書記の野望」

米中対立が厳しさを増す中、海外の中国金融資産の保有高がこの1年で約40%増加し8000億ドルを超えた。今年10月には英指数算出会社のFTSEラッセルの代表的な国債指数に中国国債が段階的に組み入れられるとすれば、水面下ですすむ米中金融蜜月の下、投資家が中国投資に向かうのは当然だという見方もあろう。

しかし、地政学的リスクを考えれば、増加は異常ではないか。事実、IPOへの横やりなど地政学的リスクの表面化が始まっている。米中金融蜜月の行方を占う意味でも、習近平政権の繰り出す自国IT企業叩きの真意、その背景を見ておく必要がある。

まず、滴滴出行がニューヨーク証券取引所に730億ドルの大型上場を果たした、その日に①国家安全法と、②インターネット安全法に基づく審査をするとし投資家を驚かせたことから見てみよう。これに、共産党中央弁公庁と国務院(政府)が連名で③「法に基づき証券違法行為を取り締まる意見」が加わる。通常は国務院傘下の中国証券監督管理委員会(証監会)から発出される資本市場政策に、共産党の官房である中央弁公庁が名を連ね、22年までにと短期目標での成果をとるという措置も異常と言える。22年には習近平が目指す異例の3期目を決める共産党大会が開かれる。

合併をお膳立てし、独禁法でウーバーの中国子会社を追い詰め、滴滴をして世界ナンバー1の配車サービス会社にしたのは共産党政府だ。そして、滴滴は、習近平が民間企業に党の関与を求めると、真っ先に定款を変更して党の関与を認めた。政民相思相愛の関係である。ところが、政府は上記に加え、④独禁法を滴滴など巨大IT企業に適用している。

アリババ集団、ことに傘下の金融子会社アント・フィナンシャルへの政府の締付けはもっと急であり過激であった。香港取引所へ上場する寸前に中止命令が出されたからだ。ネット決済のデータを用いた零細企業へのアントの融資事業は、潜在的な金融サービス需要に対して応えるものとなり、いわゆる金融包摂を実現したと政府からお墨付きを得ていた。すなわち、国務院の通達「金融包摂の発展計画(2016‐2020年)では、金融包摂の推進が、公平で調和の取れた社会、全面的小康社会を実現するために不可欠であるとうたっていたのだ。小康社会(いくらかゆとりのある社会)の実現とは、習近平が党創立100周年の式典で自身の最大の成果として誇ったものだ。

それがアントでは胡暁明CEOが辞任に追い込まれ、事業モデルの変更を余儀なくされた。アリババも独禁法違反でネット販売のトップから引きずり降ろされ、罰金の支払いで直近の四半期決算で初めての赤字になった。4つの法・規制で攻められては上海株、とくにIT関連の指数も大きく下落せざるを得ない。

中国では自国のIT大手と政府が緊密に連携してジョージ・オーウェルの小説のような世界になっている。これが西側の見方だった。ところが、今年の全国人民代表大会では政府活動報告で「国有企業を発展させて民営企業を導く」との基本方針と「公平と正義」の原則が打ち出され、その路線で巨大IT企業を抑圧し始めたのだ。

三代の党トップの知恵袋となってきた王滬寧は、習近平二期目に、国有企業の寄与度は投資では30%。雇用では15%と低下しグリップが効かなくなっていたことから国有企業に限らず企業への党の指導を強化することを打ち出し、滴滴など多くが呼応した。世論操作で協力してきたIT大手も香港取引所への上場、1%程度の政府出資で、コントロールが可能とみていた。

ところがこのままで共産党独裁が継続できるのかという恐怖がでてきた。まずは格差に不満をいだく大衆の怒りだ。それには「公平と正義」を唱え、鄧小平の先富主義の放棄を宣言する必要があった。そしてチャットに始まり、買い物、資産運用など個人の生活を支配しているのは共産党政府ではなくIT大手になってしまっている現状を打破する必要もあった。奪われてしまった支配力を取り戻すためには、アリペイに代わってデジタル人民元を普及させる、アメリカにならって独禁法を適用する等の手段によってIT大手の力を削ぐ以外に手はない。それは後発のITベンチャーの自由度を増すことになり経済成長にもプラスになる。百度にはAI,アリババには量子コンピューターといった目標を与えればよい。

だが、③の「法に基づき証券違法行為を取り締まる意見」で22年までに成果を求めるのは、鄧小平超えをして毛沢東を目ざす習近平の抱く恐怖だ。多くが習の3期目は確実だとみているが、今現在の習の挙げた実績だけでは鄧小平の敷いた集団指導体制のための「七上八下」という引退基準(潜則)を乗り越え党主席に就くのは容易ではないとの認識だ。実績の上積みが必要なのだ。そして仮にも総書記に代わり党主席に就くことができなければ、人事で対応せざるを得ない。移行期にみられる権力闘争が始まっており、まだまだ荒れる恐れもある。とはいえ、時間の区切りは鄧小平の改革開放路線の永久放棄ではないとの示唆だ。

 高橋琢磨(元野村総合研究所主任研究員)

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