勇気をもって「東京オリンピック中止」の政治決断をすべきだ

■「いまの状況でやるというのは普通ではない」

 私の住む東京・西新宿の十二社(じゅうにそう)では、今年も秋のお祭りが中止される。都庁前の新宿中央公園に隣接した熊野神社が主催する祭りで、3年に一度の本祭では西新宿から歌舞伎町まで多くの神輿が練り歩く。今年はこの本祭の年に当たり、氏子はみな楽しみにしていただけに中止は残念である。

 言うまでもなく、中止の理由は新型コロナの感染拡大だ。現状を見ると、6月20日に緊急事態宣言が解除されたものの、感染力の強い変異ウイルスの流行で特に東京都の感染は増え続け、感染症対策の専門家は「感染拡大の予兆」を指摘している。

 専門家の指摘をよそに政府は東京オリンピック・パラリンピック開幕(7月23日)の準備を進めている。

 オリンピックについて政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長は4月28日の衆院厚生労働委員会で「感染のレベルや医療の逼迫状況を踏まえ、開催の議論をしっかりやるべきだ」と述べ、6月に入ると「いまの状況でやるというのは普通ではない。いったい何のためにやるのか、しっかりと明言するのが重要だ」との答弁を繰り返していた。

 責任ある専門家の立場から、開催ありきの菅義偉首相に対して忠告するとともに五輪の中止を暗に求めた意見であると、私は考える。

「やるとしたら無観客しかない」

 五輪開催の是非について東京都医師会の尾崎治夫会長は、6月8日の定例会見の中で次のように語っていた。

 「都内の1日あたりの新規感染者が100人程度に収まった状態でなければ7月、8月に感染再拡大のリバウンドが起こる。オリンピックをやるとしたら無観客しかない」

 「都内の感染状況が改善せず、開催中に感染防止対策がきちんと取れない場合は中止という選択肢もあり得る」

 宮内庁の西村康彦長官も6月24日の定例記者会見で「(東京五輪の名誉総裁として開会宣言を行う)天皇陛下は開催が感染拡大につながらないか懸念されている、と拝察している」と語った。

 5月26日付の朝日新聞の社説は「この夏にその東京での開催が理にかなうとはとても思えない。人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む政府、都、五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ」などと書き、菅首相に五輪中止の決断を迫った。新聞各紙の世論調査でも半数以上が開催中止に傾く。ワシントンポストなど欧米のメデイアはIOC(国際オリンピック委員会)を「利益優先だ」と批判し、商業主義からの脱皮を訴える。五輪中止を求める声は多い。

 なかでも白血病を克服して五輪代表入りを決めた競泳女子の池江璃花子選手に対してSNS上に代表を辞退するよう求めるメッセージが寄せられた問題は、矛先を選手に向けるのは間違っているが、五輪中止を求める気持ちがエスカレートした結果だろう。

■五輪成功をバネに首相続投を狙っている

 政府が緊急事態宣言の解除を正式に決めたのは6月17日だった。この日の夜、菅首相は首相官邸で記者会見を行い、国民にこう呼びかけた。

 「感染者数の上昇をできるだけ抑え、同時に1日も早くワクチン接種を進めて医療崩壊を起こさないことが大事だ。新型コロナの難局を乗り越え、五輪を開催したい」

 五輪開催を前に菅首相が頼りにするのはワクチンなのである。確かにmRNAワクチンの効き目は高く、医療関係者と高齢者から打ち始めた日本では五輪開催までに医療の逼迫と重症患者は減るだろう。しかし、感染者数の方は急増するとみられ、それに国民は動揺する。頼みの綱がワクチンしかないのに五輪開催へと突き進むのは一国の首相として心もとない。菅首相は五輪が始まればみな夢中になって必ず盛り上がると思っているようだが、国民を馬鹿にしていないか。

 いまや、東京オリンピックは盛り上がりに欠け、「復興五輪」のスローガンも消えた。開催によって人の動きが活発になり、感染拡大が起きる可能性は十分に考えられる。それでも菅首相は五輪の開催にこだわる。なぜなのか。

 五輪開催後には自民党の総裁選と衆院選がある。このまま退けば「つなぎの首相」と揶揄されるだけだが、オリンピックを成功させ、それをバネに国民の人気を勝ち取ってこの2つの選挙に勝てば首相を続けることができる。菅首相は首相続投を狙っているに違いない。

 だが、五輪が感染拡大で失敗した場合、菅首相と自民党の人気は落ち、立憲民主党など野党が勢いを得て衆院総選挙で政権を奪われる事態が起きないとは言い切れない。そこを菅首相はどう考えているのだろうか。

世界中の人々がともに楽しむ最大の祭典だ

 日本中いや、世界中の人々がともに楽しむのがオリンピックである。それができない五輪に何の意味があるのか。開催までの残り時間は極めて少ない。中止の決断が遅れれば遅れるほど苦しむのは、メダルの獲得を目指してトレーニングを重ねてきた選手たちである。菅首相には開催にこだわるのを止め、鳥の目で全体を俯瞰して冷静に開催の是非を考えてほしい。そのうえで早急に中止の政治決断をすべきである。いま、菅首相の鼎の軽重が問われている。

 登山でよく指摘されるのが、「引き返す勇気」である。頂上が目前でも天候が悪化したり、雪崩の発生が予測できたりと、危険が迫っているときにはそれ以上登るのを中止し、下山すべきだという教えだ。ヒマラヤなど頂上が高ければ高いほど、登山家は下山の決断に悩む。ここまで登ってきたのになぜ諦めなければならないのか。登山家にとってこれほど悔しい選択はない。

 私も十数年前に登山をはじめ、北アルプスの山々など日本の高山や雪山を登ってきたから下山を決断せざるを得ない悔しさはよく分かる。だが、一番大切なのは登る勇気よりも、下山する勇気だ。オリンピックも同じである。菅首相と政府、それに大会組織委員会は中止する勇気を持つべきだ。

 東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長が「オリンピックには特有の高揚感がある。感染防止のために祝祭感をできるだけ抑えたい」と話していたが、五輪は祭りだ。それもただの祭りではない。選手から観客まで世界中の人々が集まって楽しむ世界最大の祭典である。

 新型コロナ対策で西新宿十二社の祭りが中止された話を書いたが、東京五輪に比べれば、実に小規模な祭りである。そんな小さな祭りでさえ、中止しなければならないのだから、東京五輪の中止は当然ではないか。

木村良一(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員)

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