ミニゼミリポート 「LGBT」「五輪とメディア」

 2021年5月19日、会議アプリZOOMを用いて2021年度1回目のミニゼミが開催された。今回は「LGBT」、「五輪とメディア」という2つのテーマについて、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所所属の教授3名と、学生16名、ジャーナリスト8名が議論を交わした。2つのテーマのうち、まず「LGBT」について交わされた議論を紹介する。

■今回のミニゼミではLGBTに関する法的な側面と社会的な側面から議論された。

 法的な側面については、2021年3月17日の札幌地裁判決を切り口に意見交換された。札幌地裁判決は、「同性間の婚姻を認める規定を設けていない民法及び戸籍法の婚姻に関する諸規定」(=同性婚を認めないこと)が憲法14条で定める法の下の平等に反すると判断した点で社会に一石を投じたといえる。しかし、日本におけるLGBT保護のための法制度は進歩が必要だ。日本の国会でのLGBT法案の成立は進んでいない。その原因として自由民主党の一部がLGBTに対して持っている偏見が依然として強いことが指摘された。5月28日に性的少数者をめぐる「理解増進」法案について、自民党の総務会が法案の了承を見送ったことからも、一部の保守派がLGBT法案成立の壁となっていることが伺える。性的マイノリティ保護の法案が成立するまでの道のりは長い。

 社会的な側面については、東京レインボープライドを切り口に議論された。「性的少数者が、差別や偏見にさらされず、前向きに生活できる社会の実現」を目指したイベントである東京レインボープライドは昨年から参加者が急増している。また、テレビドラマ等でLGBTがテーマとして取り上げられていることも増えていることが指摘された。このように、社会的な側面においてはLGBTへの理解も進みつつあることがわかる。

 性的少数者への理解について、法的な側面においても、社会的な側面においても日本はこれから変化が求められるだろう。これらの問題についてメディア・コミュニケーション研究所の鈴木秀美教授からはドイツとの比較による指摘がされた。ドイツでは1990年代に同性婚を認めるよう求める動きが始まり、2001 年に婚姻に劣後する効力のみを有する生活パートナーシップが導入された。そして、2017年10月1日には同性婚が認められた。また、ドイツでテレビドラマを見ると、同性カップルがごく当たり前の存在として登場することもあるとの指摘もあった。日本のテレビドラマでは、同性愛をテーマにしたテレビ朝日ドラマ『おっさんずラブ』やトランスジェンダーをテーマにしたNHKドラマ『女子的生活』など、LGBTが主題となっている作品は存在するが、当たり前に同性カップルが登場する作品は非常に少ない。日本ではいまだLGBTが「当たり前」にはなっていないということがいえるだろう。

 これらの事実から、ドイツと日本を比較するとLGBTの理解について、法的な側面においても、社会的な側面においても大きな差があることがわかる。

 筆者が最も興味深いと思った議論は、「法的な側面と社会的な側面のどちらか一方が進んでいるだけでは意味がない」という学生からの意見だった。LGBT等の性的マイノリティが生きやすい世の中を目指すにあたって、法律が整備されても社会の理解が進んでいなければ不十分である。反対に、社会の理解が進んでいたとしても法律が変わらなければ不十分だ。「制度」が良くなることで、「社会」が変わり、「社会」が良くなることで「制度」が変わる。この相互関係を生み出すことが重要だと気付かされた。

 今回の議論を通して私はLGBTの理解が進むためには「アライ」が増えることが重要であると感じた。「アライ」とは「LGBTの当事者ではない人が、LGBTに代表される性的マイノリティを理解し支援するという考え方、あるいはそうした立場を明確にしている人々」のことを指す言葉であり、英語で「同盟、支援」を意味する「ally」が語源である。つまり「アライ」の特徴は性的マイノリティを支援する立場をはっきりと示しているところである。日本では性的少数者について、消極的に支持している人は多いが、支持する立場を積極的に示している人は少ないように感じる。政治の世界や社会全体の中で積極的にLGBTを支援する立場を表明する「アライ」が増えることで、法的にも社会的にもLGBTの理解が進み、LGBT理解の相互作用が生み出せるのではないか。今回のミニゼミで日本のLGBT理解は進んでいないことが浮き彫りになった。しかし、日本でLGBTの権利を守る事についての議論は未だ始まったばかりである。これから日本社会を性的マイノリティがより生きやすい社会にするため、私たちが「アライ」となってLGBTを支持することが大切だと思う。

■ミニゼミの後半は、「五輪とメディア」をテーマに議論を交わした。

 議論に先立って、2021年5月14日の朝日新聞「メディア私評」に掲載されたメディア・コミュニケーション研究所の山腰修三教授による寄稿が紹介された。この記事では、主流メディアが五輪の開催について開かれた議論を展開できていないことが指摘されていた。つまり、新聞等が社説で五輪の開催について「中止すべき」なのか「開催すべき」なのか立場を示すべきという主張である。

 この記事の内容に対し、「新聞社が東京五輪のスポンサーとなっているため、五輪の中止論を社説で明言できないのではないか。」という指摘があった。東京五輪のスポンサーとなっている新聞社は、「読売新聞グループ本社」「朝日新聞社」「毎日新聞社」「日本経済新聞社」「産経新聞社」「北海道新聞社」が挙げられ、主要な新聞社が五輪のスポンサーとなっていることがわかる。しかし、これに対して「メディアが東京五輪のスポンサーであることと、社説で五輪開催の是非に言及しないことは関係ない」という反論もあった。「社説で五輪の開催について論じることができない原因は、社内でも開催の是非については意見が分かれており、一つの社説にまとめることが難しいことではないか」という意見である。社内でも意見が大きく分かれるような社会問題に対して、一つの論説にまとめようとした場合、当たり障りのない平たい議論になってしまうことも頷ける。

 しかし、山腰教授は「それでも五輪の開催についてメディアがはっきり立場を示すことが必要だ」と力強く発言した。メディアが五輪の開催について立場を示さないと世の中の議論は発展しない。社会問題について、議論の軸を生み出すためにメディアは立場を示すべきであり、その立場を明確にできるメディアは新聞である。だからこそ新聞は社説で五輪開催の是非について言及すべきである、という山腰教授の指摘によって、議論が締めくくられた。

 なお、ミニゼミが開催された一週間後の5月26日、朝日新聞の社説に「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」という見出しの記事が掲載された。この社説によって朝日新聞は初めて「東京五輪を中止すべき」とする立場を明確に示した。これから他の新聞社が五輪の開催について言及するのか、ますます注目されるだろう。

塩沢栄太(慶応義塾大学法学部法律学科3年)

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