■ 大統領選挙まで1年
韓国が騒めいている。来年3月9日の大統領選挙に向けて、有力な候補者が動き出し、与・野党間の駆け引きが活発化したからだ。ムン・ジェイン大統領の後継者を選ぶ選挙は、革新系与党「共に民主党」の候補者2人がこれまで存在感を示していた。ムン政権の初代首相を務め、党代表だったイ・ナギョン氏、ムン大統領と同じ人権派弁護士のキョンギ道知事、イ・ジェミョン氏が党の公認候補を選ぶ予備選挙(9月)に向けて競い合っている。一方、保守系の最大野党「国民の力」には有力な候補者がおらず、与党が勝利して革新系政権が続くとの見方が支配的であった。ところが、ムン政権に歯向かう強い伏兵が登場し、情勢は一変した。3月4日に検察総長を突然辞職したユン・ソギョル氏だ。ユン氏が政権疑惑も積極的に追及したことで、ムン政権が強く反発し、検察の捜査権を奪う改革を強権的に進めてきた経緯がある。ユン氏の辞職はこれに抗議するものだった。辞職するにあたって、ユン氏は「この国を支えてきた憲法の精神と法治システムが破壊されている」「常識と正義が失われていくのはこれ以上、見るに堪えない」と語った。また、「今後どのような位置にあろうとも・・・自由民主主義を守り、国民を守るために全力を尽くす」とも言い残している。大統領選挙に出馬する意志を暗に示したものとも受け取れ、候補者としての期待感が高まっている。有力候補のいない野党側は色めき立ち、国民からの支持率も上昇する。無風と目された大統領選挙に、反政権を掲げる有力候補が誕生すれば、国中が騒めくのも無理はない。
■ ユン氏の立ち位置と真意
ユン氏の検察人生は波乱に満ちている。ユン氏は、パク・クネ前政権の発足直後、「国家情報院」による大統領選挙への介入事件の捜査を進め、上層部の意向に反したとして停職処分を受けている。そして、「ローソク革命」を引き起こした「チェ・スンシル疑惑」の追及では、特別検察チームの長として指揮し、現職大統領の弾劾罷免を初めて実現することとなった。ムン大統領は功績を評価してユン氏を検察総長に抜擢し、「我々の総長」とまで表現している。その一方、ユン氏はムン政権の疑惑も追及していく。その象徴がチョ・グク元法務長官の家族ぐるみの疑惑捜査であり、政権との関係悪化のきっかけとなった。ムン政権はユン氏を支持する検察官を一斉に異動させたほか、本人には職務停止処分を課すなど、ユン氏の更迭を図る。ユン氏は裁判所の決定で復職して対決姿勢を強め、双方の溝は深まるばかりとなった。議会で圧倒的多数を占めるムン政権は怯まなかった。大統領の公約でもある「検察改革」を強権的に推し進め、大統領、国会議員、政府高官などの高位公職者などの不正を検察に代わって捜査する「高位公職者犯罪捜査庁」をこの1月に発足させる。さらに、経済、公職者、選挙などの6つの重大犯罪についても、検察の捜査権を奪う「重大犯罪捜査庁」を新設する法案を成立させる動きを見せ、検察側を今もけん制している。
こうした動きをみれば、ムン政権がユン氏を辞職に追い込んだと見てよい。しかし、ユン氏の「発言」を見れば、ムン政権を批判するだけのものでなく、「法と正義」を尊重するという、法の番人としてのユン氏の固い決意を表明したものと見て取れる。ユン氏は、かつて「人に忠誠を誓わない」と述べたという。その真意は、時の政権であっても不正疑惑は追及するという、揺るぎない信条だったと言ってよかろう。
■ 狼狽するムン政権
ユン氏が辞職した3月4日にも留意すべき点がある。韓国では今、検事が公職選挙に立候補する場合、退職から1年以上の期間が必要との法案が与党議員によって提案されている。ユン氏はこの法案の成立を案じながら、来年3月の大統領選挙に備えたとの見方もできる。ユン氏の辞任はその期限の5日前のことである。ただ、ユン氏は大統領選挙に出馬する意志を明確にしているわけではない。とは言っても、ユン氏の一連の言動は、大統領選挙への出馬を暗示するかのようにも受け取れ、期待は高まるばかりだ。辞任以降の各種世論調査では、ユン氏は次の大統領にふさわしい人物としてトップの座につく。最新の世論調査(リアルメーター:29日)でも、ユン氏は34・4%、2位のキョンギ道知事、イ・ジェミョン氏の21・4%を大きくリードしている。
こうした支持率がムン政権を狼狽させている。韓国では、歴代大統領の多くが不正疑惑などで逮捕・起訴されるなど、悲惨な過去がある。ユン氏の高い支持率とこの歴史を重ね合わせると、ムン政権には深刻な意味が出てこよう。ムン政権に関わる不正疑惑はここ数年目立つ。ウルサン市長選挙への介入事件、ウォルソン原発1号機に関する資料改ざん事件などが相次いでいる。3月初めには、韓国の不動産価格が暴騰するなか、土地住宅公社の職員とその家族らが内部情報を悪用し、都市開発予定地を投機目的で事前購入した疑惑も発覚している。ムン大統領の私邸をめぐる土地投機疑惑も浮上し、低落傾向にあるムン大統領の支持率は就任以来の最低を記録するまでになっている。
ムン政権と対立するユン氏がこのままの支持率を保ち、次期大統領に選出されたら何が起こるのか。ムン政権は、自らの不正が厳しく追及されることを察知しているであろう。
■ 何かが起こる予感
来年の大統領選挙は、過去の選挙と同様に革新・保守の一騎打ちとなろう。与党の候補と対決する野党候補として、ユン氏が一本化されるかが最大の焦点である。期待の高まるユン氏をめぐって、保守系と革新系メディアの、ある論争が興味を引く。与党支持の革新系ハンギョレ新聞は3月5日付けの社説で、ユン氏の出馬は「検察の中立性」を否定すると説き、「(ユン氏のような)政治経験と国政経験がない人は大統領ができない」と批判する。これに対して、保守系の中央日報は外部識者のコラム(17日)を掲載し、「政治経験が豊かな大統領2人は現在監獄にいて、もう一人の大統領は退任後に監獄に行かないことを国政目標にしている」と批評し、「大統領の仕事は国家の方向を提示すること・・・これが、大衆が彼(ユン氏)に投射する希望の正体だ」と論じている。ユン氏の政界進出は、支持率が高いとはいえ、今後も保・革の激しい論争も予想され、課題のあることが伺える。
今後の展開は安易に予測できない。ただ、確実なことが一つだけある。それは、ムン政権が革新政権の継続を目指している点だ。大統領選挙にユン氏が出馬すれば、絶大な権力を握るムン政権としては、なりふり構わず対抗手段に出ること考えられ、何かが起こる予感がする。一方、対立を深める米中関係、対話も望めない米朝関係、最悪の日韓関係によって、北東アジアは今大きく揺れ、軋む。ムン政権の後継者が革新か保守かにより、その意味合いは大きく異なってこよう。4月9日にソウルとプサンで行われる市長選挙はその前哨戦となる。与党候補の劣勢が伝えられるなか、市民はユン氏のいう、「法と正義」という価値観を示すのだろうか。
羽太 宣博(元NHK記者)