「復興」課題、未来へ―大川地区の10年から

 東日本大震災から間もなく10年になる。三陸沿岸には新しい住宅団地が建設され、「震災の記憶」を伝える震災遺構も各市町村に建設されている。復興には32兆円もの国費がつぎ込まれた。津波被害を受けた土地は居住できない「災害危険区域」に指定され、人のいない浜に巨大防潮堤が建設された。移転先の住宅地では、住民の公園の草取りですら共同作業が成立しないこともある。姿を変えた「ふるさと」を前に「これが復興なのか」という声も聞かれる。東日本大震災における「復興」で何が問われているのか、震災後通い続けている石巻市大川地区の10年から考える。

■姿を変える「ふるさと」

 大川地区は石巻市北部、新北上川河口域に位置し、海と山と川が合わさる自然豊かな場所に、被災前は約2500人が暮らしていた。東日本大震災では、津波により418人が命を奪われた。地域を構成する9行政区のうち釜谷、間垣、長面、尾崎の4行政区(集落)が災害危険地域に指定され、約400世帯が移転を余儀なくされた。地域には児童74人と教職員10人が死亡・行方不明となった石巻市立大川小学校があり、現在は震災遺構整備工事が進んでいる。筆者は2004年に取材で訪れたことをきっかけに、「参与観察」という形で復興過程を見続けている。

 10年を振り返り大きく変化したのは、地域の風景と、人々の暮らしぶりである。海に面した長面集落には2015年から高さ8.4mの防潮堤建設工事が行われている。内水面・長面浦をはさんで対岸の尾崎集落では、漁師が中心となり防潮堤計画を2.6mに変更したが、双方の集落をつなぐ橋は高い防潮堤に合わせて架け替えが行われている。両集落では内陸からの通い漁業と農業法人による耕作が行われているが、かつての住民の多くは墓参に通う程度で、人の姿のない浜に工事の音が響いている。

 人々の暮らしも変化した。集団移転先・二子団地(約400戸)は地盤改良などに時間がかかり、石巻市内で最も遅い2016年度末に造成が完了した。人々は2017年秋から2019年夏にかけて段階的に移転した。仮設住宅での生活が長期化するなか、小中学校が閉校となり、子育て世代の地域外移転が進んだ。二子団地へと移転した世帯は、被災前世帯数の3割ほどにとどまる。

 この地域には古くから各集落に「契約講」と呼ばれる地縁互助組織があり、地域の共同作業や寺社祭礼などを担ってきたが、震災から日が経つにつれ相次いで解散した。移転地では新たに自治会が結成されたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、ボランティア活動や親睦イベントは軒並み自粛されている。震災の痛手から祭りも減少し、神輿の海上渡御に形を変えて続けてきた長面集落の夏祭りも、防潮堤が建設されたことや高齢化により継続が難しくなっている。住民からは防潮堤計画について「聞いていなかった」との声も根強くある。

■復興計画と「聞いていなかった」

 東日本大震災の復興予算32兆円のうち最も割合が大きいのは住宅や防潮堤、道路などのインフラ整備費用で、総額13兆3000億円に上る。1万8000戸の高台移転とかさ上げ、3万戸の災害公営住宅建設、総延長432kmにおよぶ防潮堤や高速道路の整備などが行われた。財源の4割は25年間におよぶ増税による。巨費を投じたに見合う「復興」の実感はあるのだろうか。石巻市内を見る限りでは、乏しいように感じられる。

 根拠の一つは「聞いていなかった」という声に象徴される復興計画への納得感の低さである。多くの自治体で復興の枠組みを決める復興基本計画は2011年中に策定されている。石巻市でも同年12月議会[11] 基本計画が決まった。大川地区での住民意向調査は2011年4月、6月、9月に行われたが、覚えている人は少ない。長面地区の防潮堤にしても、石巻市による説明があったのは2012年7月。翌年6月にもう一度説明会が行われて計画はそのまま進み、2015年5月に行われた着工の説明会では「聞いていない」という声が飛び交った。

 住民意向調査や説明会が行われていても、被害の大きい地域では、行方不明者捜索や生活手段確保に追われたり、喪失感に心ふさがれたりしていて復興施策について考える余裕がない人も多い。制度や仕組みも複雑で、「復旧」や「L1」(100年に1度レベル)など行政用語に生活感覚と隔たりがあることもあり、合意形成に住民の意向が十分反映されたとはいえない。住宅再建にしても、自力再建と災害公営住宅入居と自分にとってどちらが最適なのか、よく理解しないまま決めた人もある。

■人と人をつなぐもの

 もう一つに、インフラ復旧が住民の生活再建支援より先行したことが指摘される。尾崎・長面集落に電気が復旧したのは、東北電力管内で最も遅い2013年8月だった。水道の復旧は2016年秋になる。ライフラインや生産手段、学校や生活関連施設が復旧しない一方で防潮堤計画は進む。なぜこうしたことが起こるのか。2012年秋、宮城県河川課に尋ねると、担当者は「100%国費で防潮堤が整備できるのは今だけ。早急に進めたい」と答えた。

 政府の復興構想会議議長を務めた五百旗頭真・ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長は2021年2月17日に日本記者クラブで開かれた会見で、国の全額負担について「0.1%でも地元負担を持たせないとモラルハザードが起こる」と国に意見したと振り返った上で、「モラルハザードを起こしているのかどうかの判断は難しいが、地元負担が少しでもあったなら、丘の上の町に多くの空き地が見られることもなかったのではないか」と話した。国費でのインフラ整備を急ぐあまりに、生業再建や社会的関係性再生など「暮らし」を支える多様な要素への支援が後回しになったのではないかと改めて考える。

 震災10年、新型コロナウイルスの影響もあり、移転先での新たな社会的関係形成は足踏みをしている。阪神・淡路大震災以降「コミュニティの継続」の必要性が強く説かれたが、「コミュニティの継続」には近所づきあいのような物理的関係性に加え、人々が「地域への思い」や「記憶」を共有することも大切なのではないかと現場では考えさせられる。姿を変えてしまった「ふるさと」や人間関係希薄な災害公営住宅は、人々の「復興」への満足感や納得感を疎外しているように思えてならない。

 震災10年を機に、多くのメディアが「震災の風化防止」を訴え「未来に伝えるべきこと」を特集している。国や県の震災伝承施設整備も各地で進んでいる。一方、福島原発周辺や石巻では展示内容が議論を呼び、震災復興に携わってきたNPOなどが独自の伝承施設を開く動きも見られる。震災伝承には、復興過程を検証し次の災害復興に教訓を活かすことも必要ではないか。

 大川小学校で次女を失った佐藤敏郎さんは昨年10月25日の「大川伝承の会」語り部ガイドで、「あの日のこと、あの日までのこと、あの日からのこと、そしてこれからのことの4つを伝えることが大切」と語った。震災体験だけでなく、事前の防災対応や、住民が共有しうる「ふるさとの記憶」、復興の道のりと教訓を多くの人の対話により考え語り継ぐことが、未来につながるのではないかと考える。

中島みゆき(全国紙記者、東京大学大学院学際情報学府博士後期課程)

<写真>
防潮堤と橋の工事が進む長面(右)、尾崎(左)両集落。背景に広がるのが長面浦=2019年8月2日、槻橋修・神戸大学准教授によるドローン撮影

Authors

*

Top