韓国法廷 またも慰安婦判決で国際法無視

1) 元慰安婦の損害賠償判決
新年早々、ソウル中央地裁が下した判決が最悪の日韓関係を揺さぶっている。元慰安婦の女性12人が戦時中に受けた精神的苦痛に対する損害賠償を求めた裁判で、被告の日本政府に1人当たりおよそ950万円を支払うよう命じたのである。裁判は、元慰安婦の女性が「反人道的な犯罪行為」により精神的苦痛を受けたとして、日本政府に賠償を求めたものである。日本政府は「主権国家は他国の裁判権に服さない」という、国際法上の「主権免除の原則」を踏まえ、訴えは却下されるべきとの立場で、裁判に出席することもなかった。
判決では、慰安婦問題が反人道的な犯罪を構成するとし、いかなる逸脱も許されない「国際強行規範」に違反する行為にあたるとし、「主権免除の原則」は適用されないとの判断を示した。さらに、「1965年の日韓請求権協定や2015年の日韓慰安婦合意によっても、原告の請求権は消滅していない」との判断を示し、日本政府に損害賠償の支払いを命じたのである。日本政府は「主権免除の原則」に則し、控訴することもしていない。これによって判決は確定し、原告が他国である日本の国有財産を差し押さえるという、国際社会では極めて異常な手続きに入ることが可能な事態となっている。
韓国のムン・ジェイン政権は、ここ数年、戦時徴用をめぐる大法院判決、日韓慰安婦合意の事実上の反故など、歴史認識問題をめぐって日本と厳しく対峙する外交姿勢が際立っている。とりわけ、戦時徴用をめぐって日本企業に賠償を命じた大法院判決(2018年)、慰安婦合意に基づく「和解・癒し財団」の解散(2019年)、そして今回の慰安婦賠償判決は日韓請求権協定などの国家間合意を一方的に無視し、国際社会の法秩序を踏みにじる点で共通している。国交正常化以降、最悪とも評される日韓関係がさらに悪化するとの懸念は強まりこそすれ、弱まることはない。
2) 判決に対する日韓メディアの反応
 今回の慰安婦判決について、日韓のメディアはどう伝えたのだろうか。日本の大手各紙の社説では、「慰安婦判決 合意を礎に解決模索を(朝日)」が「当事国間の外交で問題をときほぐすのが望ましい」と説き、日韓両政府に外交による解決を促している。また、「対立深刻化させる判決だ(毎日)」「『主権免除』認めぬ不当判決だ(読売)」「歴史歪める判決を許すな(産経)」「国際慣例に反し理解しがたい慰安婦判決(日経)」は、いずれも国際法の観点から判決を批判している。また、日本政府に対し、その立場を丁寧に説明する対外発信力の強化や日韓の協力の大切さを指摘し、日韓関係がさらに悪化することへの懸念を示している。
韓国のメディアでは、保守系、革新系でその論調が異なる。保守系紙は専門家などの声を引用しながら、女性の人権の立場から判決を評価する記事が目立った。論説やコラムでは、「韓日関係改善を試みていた文政権に…慰安婦判決が予期しない変数に(朝鮮日報)」が今回の判決で、「両国の関係改善に向けて水面下で進む努力が再び振り出しに戻るかもしれない」と伝え、やはり日韓関係の先行きを案じている。また、「韓日指導者、『度量の大きな取引』を試みてほしい(中央日報)」「政府は判決だけに頼らないで外交的解決策を模索せよ(東亜日報)」など、悪化の一途をたどる日韓関係の改善に向けて、ムン政権の積極的な取り組みを求める論調が主流となっている。一方、革新系のハンギョレ新聞は、「『慰安婦』賠償責任を問うた歴史的判決」と題した社説で、「国際的な反人道犯罪の責任の所在を法的に明らかにした歴史的意味が大きい」と強調する。さらに、「現代の国際法的根拠から導き出した極めて常識的な法解釈だ」とも論じ、判決を高く評価しているのが際立つ。
 日韓双方のメディアの論調を対比すると、裁判の争点であった「主権免除の原則」に対する考え方に隔たりのあることがわかる。その大きさにこそ、日韓関係の厳しい現実が反映されていると見ることができよう。
3) 判決を国際法から見ると・・・
裁判での最大の争点は、裁判所が「主権免除の原則」を適用するかどうかであった。今回の判決は、慰安婦問題が人道上の国際強行規定に違反するとして、主権免除の原則を適用しないというものであった。この法理は、国際法の観点からどう評価できるのだろうか。
国際法は独立した執行機関を持たないとはいえ、国際社会を律する法として拘束力を持つ。国際法には、まず、合意した2国間または多数国間の条約や規約がある。また、国家が慣行として実行し、法として認める「法的信念」を持つことで成立する慣習国際法もある。「主権免除の原則」は主権平等の考えから生まれた慣習国際法の一つで、19世紀に成立したものだ。かつてはいかなる国家行為にも主権免除の原則が適用(絶対免除主義)されたが、昨今、国家の主権的行為以外については認められないとの見解(制限主権主義)が有力となっている。今回の判決は、「主権免除の原則」そのものを否定したわけではなく、制限主権主義の考えに立って、国際的な強行規定に違反する非人道的行為には、主権免除の原則は適用されないとの判断を示したものであった。しかし、強行規定の対象となるのは、国際司法裁判所(ICJ)によって拷問とジェノサイドに限られている。慰安婦問題が人道上の強行規定に違反し、主権免除の対象とはならないとの解釈はなお少数意見にすぎない。なお、大戦末期にドイツで強制労働をさせられたイタリアの男性がドイツ政府を相手取って起こした損害賠償裁判で、ICJが2012年2月、ドイツの主張を認めて主権免除の原則を適用した判決に留意する必要があろう。今回の判決がこのICJ判決に合致しないことも見逃してはならない。
慰安婦の女性が大戦中に受けた精神的苦痛は、想像を絶するものがあろう。女性の人権問題とすることには、いささかの疑いもない。しかし、様々な人権国際法が体系的に成立するのは、大戦直後の世界人権宣言(1948年)以降のことである。とりわけ、戦時における女性の人権が国際的に関心は集めたのは、1990年代に入って冷戦後の東欧や内戦の続くアフリカなどでの性暴力が問題になったのがきっかけであった。女性の人権に関わる新たな国際法を戦前の慰安婦問題に遡って適用することは「不遡及の原則」からいっても無理があろう。
4) 問われる韓国外交
今回の判決では、国際法を無視したものと評価しただけでは済まない問題が残されていることに留意する必要がある。先に紹介したハンギョレ新聞の社説が論じるように、「国際法は固定不変でなく、人類が成就した人権・正義の価値に歩調を合わせて変化しなければならない」ダイナミズムのあることを忘れてはなるまい。つまり、主権免除の原則を適用しないという、判決の法理が少数意見であるにしろ、将来、国際社会における人権意識が変化することで徐々に多数意見に転じる可能性があることを考慮しておく必要がある。換言すれば、国益がぶつかり合う不条理な国際社会は、ときに大きく変動するという現実と向き合いながら、法と秩序の安定性を求めるという、難しいかじ取りが迫られると言ってよい。
北東アジアをめぐる情勢は、日本に続きアメリカの政権も交代し、新時代を迎えている。米中、米朝、南北関係ともに、各国の思惑がすれ違い、以前に比べて不確実性が増しているように見える。アメリカのバイデン大統領は何よりも同盟関係を重視する政策を掲げ、パリ協定やWHOなどへの復帰を決めるなど、国際協調主義を前面に打ち出している。日米韓の連携を図りつつ、対中国、対北朝鮮外交を展開するものと見られ、日韓双方に関係改善を働きかけるであろう。ムン大統領は、新年に入って外交部長官や駐日大使を交代させるなど、対米、対日外交を一新する姿勢を見せている。こうした変化の兆しは、新生アメリカと北東アジア情勢の変化へのレスポンスと解釈すれば、容易に理解できよう。
ムン大統領の任期は残すところ1年3か月余りとなった。ムン大統領の言う、日韓の間に未来志向の関係を築くことができるのだろうか。繰り返し無視してきた国際社会の法と原則を順守する、その姿勢が問われることになる。
羽太 宣博(元NHK記者)

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