新風書房代表 福山琢磨さん30年の軌跡

戦争体験の証言集を発行し続けて33年

 朝日新聞生活面に「ひととき」というタイトルのコラム欄がある。約500字の、女性だけの投稿欄で、日曜日を除いて毎日掲載されている。1953年に始まった歴史ある人気コラムといい、惹きつけられる文章が少なくない。9月11日付の同欄(大阪本社版)に「福山琢磨さんに感謝」との見出しの一文が載った。個人の名前が見出しになることは滅多にない。投稿者は兵庫県伊丹市在住の主婦(74歳)だった。満州(中国東北部)からの引揚者で、福山さんが発行している市民の戦争体験記「孫たちへの証言」に応募して採用されたエピソードを紹介するとともに、福山さんが病気になり同誌を休刊せざるを得なくなったことを知っての感謝の一文だった。

 「孫たちへの証言」は、新風書房(大阪市天王寺区)代表の福山さん(86)が、第2次世界大戦を体験した手記を全国から募集、1988年に第1集を発行してから毎年出し続けて来た。毎回テーマを設けており、今号は「新時代『令和』に託す平和への願い」。寄せられた239編の中から体験編53編、伝承編23編、合わせて76編を収録している。B6判274㌻、税別1500円。

 第33集に掲載された中には百歳の投稿者が2人も。香川県三豊市の政本道一さんは陸軍の衛生兵として出征、ニューギニアに派遣された。敵の猛爆に敗退を繰り返した激戦下の野戦病院での体験を綴っている。「運ばれてくる兵士たちを見てびっくり。目玉の飛び出た人、手の無い人、頭が砕けた人など人間の形を保っていない……恐ろしく涙が止まらなかった」。そして「百歳の今に至っても心の中では戦争が終わっていない」と結んでいる。島根県飯南町の難波和夫さんは1945年6月、重巡洋艦「足柄に」乗船したが、スマトラ島東部のバンカ海峡で雷撃を受けて沈没。油が浮いた海中を漂い続け、約3時間後にようやく助け出され九死に一生を得た時の様子を克明に記している。

 第33集までに寄せられた投稿総数は2万530編、このうち同誌に収録されたのは2609編。福山さんがほぼ一人ですべてに目を通し、編集作業をしてきた。記憶違いや固有名詞の誤記が多く、作業は手間がかかる。例えば「召集」が「招集」だったり、「日ソ中立条約」が「日ソ不可侵条約」と書かれていたりする。疑問に思ったことはいちいち問い合わせたり、歴史史料にあたったりして確かめる。応募者は一千編を超える年もあったが、戦争体験者の高齢化に伴い、近年少なくなり、今回はこれまでの最低だった。第29集からは、本人の体験だけでなく、祖父母や父母など家族などから聞き書きした話も「伝承編」として収録するようにした。

 「孫たちへの証言」を発行するきっかけになったのは、福山さんが84年に50歳になったのをきっかけに「自分史」の普及に乗り出してから。「石の墓を作るより紙の墓標を」と自分史作りを勧め、書きやすいように「記入式自分史ノート」も考案した。東京、大阪など各地で自分史講座を開いて作り方を指導しているうち、戦争体験について書く受講者が多いのに気づき、88年に「私の八月十五日」のテーマで第1集を編んだ。「記憶は風化するが、記録しておけば生き続ける」と言い、「記憶は一代、記録は末代まで」をキャッチフレーズにしている。

 福山さんは鳥取県倉吉市出身。中学を卒業後、大阪の印刷所の住み込み職人となり、その後、夕刊紙の制作現場で働きながら夜間高校に学び、独立して自分史などを発行する出版会社「新風書房」を創業した。

 証言集の発行に合わせ、投稿者のよる朗読発表会も東京、大阪で開いてきた。戦争がテーマの講演会や展示会を企画したこともある。17年には「『モノ』が語る戦争展」を大阪市内のデパートで開いた。投稿者らに呼びかけて集めた防空ずきん、出征兵士の寄せ書き、米軍が投下した焼夷弾の部品など大小約100点を展示、反響を呼んだ。

 福山さんは根っからの活字好きで活動的。興味の幅が広い。本業のかたわら、季刊誌「大阪春秋」の編集発行もしている。1973年に創刊された大阪の歴史、文化を発信する大阪発信の数少ない文芸誌だったが、03年に経営事情で休刊になったのを引き継いで04年に復刊させた。また、13年に社屋ビルを建て替えたのを機にほぼ月1回、新社屋で「新風サロン」を主催してきた。市民約20人がゲストスピーカーの話を聞いた後、缶ビールを飲みながら語り合う場で、筆者もスタート時からメンバーとなり、講師を引き受けたことがある。

 精力的に多彩な活動をしてきた福山さんだったが、3月6日、病が襲った。この日朝、出社してパソコンを開いていて左手がしびれ出した。ろれつも不確かになって救急車で病院に運ばれる。脳梗塞だった。幸い軽症で、1カ月ほどの入院とリハビリで出社できるまでに回復したが、「無理をすると再発する」と医師に言われ、「孫たちへの証言」はやむなく終刊とすることにした。脳梗塞のいきさつは7月、「あっという間の身体麻痺 気づきが早く幸運にも恵まれる」という冊子にまとめ発行した。あくなき編集者魂はここにも発揮された。

 同社倉庫には、未掲載の応募原稿約1万8千編が段ボール約50箱に眠ったままになっている。それらはデータ化して検索できるようにする考えで、同社の編集者、上野真悟氏に作業を託している。また、在庫切れもある第30集までを、10集ずつ復刻出版する計画も進めている。

七尾 隆太(元朝日新聞記者)

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