金正恩の“涙”の裏側に見えるもの

1)異例な軍事パレード

北朝鮮は、10月10日、「朝鮮労働党」の創建75周年を祝う軍事パレードを行った。午前零時を告げる鐘の音とともに花火が打ち上がった。スーツ姿のキム・ジョンウン委員長が姿を見せると、会場のキム・イルソン広場は大歓声に包まれた。2年ぶりの軍事パレードは異例な深夜の行事となった。

キム委員長の演説が注目されたのは言うまでもない。キム委員長は、新型コロナウイルスについて、「悪性の伝染病からすべての人を守り…みなさんの健康な姿に『ありがとう』の言葉以外にありません」と述べ、感謝の言葉を10回以上繰り返したという。また、北朝鮮の直面する厳しい国情を念頭に、「皆は私に信頼を寄せてくれたが、いつも満足に応えられず、本当に申し訳なく思う」「面目ない」などと自責の念を吐露し、「涙」を拭った姿が映像で流れた。キム委員長の「涙」も、冷酷無慈悲な最高指導者という地位から見て異例だった。その言動はどう理解すべきなのだろうか。北朝鮮を取り巻く国内外の事情、とりわけ北東アジア情勢を踏まえ、キム委員長の演説全体を俯瞰したい。

2)キム委員長の演説

キム委員長は演説のなかで、足踏み状態が続く「南北関係」や非核化をめぐる「米朝交渉」について、言及したのだろうか。キム委員長がコロナ禍に言及した際、「愛する南の同胞が危機を克服し、また手を握り合う日がくることを願う」と述べている。韓国のムン・ジェイン大統領は今年の国連総会に送ったビデオ演説で、朝鮮半島の平和への第一歩としての「終戦宣言」を改めて提案した経緯がある。キム委員長は南北融和の姿勢を固持するムン大統領に答え、南北対話の再開を望む意向を表明したかたちとなった。米朝交渉に関連して、キム委員長はアメリカに一言も言及することがなかった。核・ミサイルや戦略兵器などにも直接触れず、控えめな表現に終始している。

その一方、北朝鮮がパレードで誇示した最新の兵器に注目しなければならない。まず、「北極星4」と記されたミサイルは新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)だ。海中の潜水艦から撃ち出すSLBMは、発射の兆候をつかむのが難しいとされ、北朝鮮はすでに去年10月に発射実験に成功している。また、キム委員長が演説で見せた「涙」とは対照的に「笑み」を浮かべるなか、世界最大級の新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)が登場した。このミサイルは、アメリカ本土全域を攻撃できるというこれまでの「火星15型」よりもさらに長く、太い。専門家は射程距離が伸びたうえに多弾頭型で、1発でワシントンやニューヨークを同時に攻撃できる可能性が高く、迎撃が非常に難しいと分析している。キム委員長の「笑み」は、北朝鮮が核・ミサイル開発を継続し、すでに核保有国として振る舞っているかのように見える。

3)キム委員長の言動

キム委員長の涙を「演技」「うそ泣き」とする見方はさておき、軍事パレードからは、北朝鮮に何ら根本的な変化のないことが明確になった。そのキム委員長の言動について、北朝鮮と直接向き合うアメリカと韓国はどう受け止めたのであろうか。

アメリカは北朝鮮が核とミサイル開発を継続していることに失望感・警戒感を示し、完全な非核化に向けた対話に復帰するよう求めている。南北融和を公約とするムン政権は「環境が整い次第、南北関係を復元しようという北朝鮮の立場に注目する」との立場をすぐ表明した。また、与党・共に民主党は「現在ストップしている朝鮮半島平和プロセスを復元しようという我々の意思に答えたもの」と評価している。一方、韓国メディアは、革新系と保守系の論調が分かれる。ムン政権寄りのハンギョレ新聞は「北朝鮮は南北間の経済協力が非常に重要だという点を再認識し、関係改善の動きを早く見せるよう願う」と期待感を示した。これに対し、保守系の中央日報は「北朝鮮は非核化の意志があるように見せながら、一時も休まず核・ミサイル開発を進めてきたと指摘し、韓国はキム委員長の涙ではなく本心を直視する必要がある」と説く。同じく保守系の朝鮮日報も、キム委員長の涙は「北朝鮮の食糧問題が深刻な状態にあることを示している」「北朝鮮が庶民生活の困難を解決するのは簡単で、核開発を放棄すればよい」と論じる。また、軍事パレードが韓国を攻撃する新兵器も公開した点に留意し、「軍事力を誇示して脅迫しながら、口では仲良くしようと言っている」「キム委員長は『南側を取り扱うのは本当に簡単』と考えているはずだ」とムン政権の姿勢を批判している。

4)流動化する北東アジアと北朝鮮

キム委員長の言動の背景には、国連の経済制裁に加えて、コロナ禍、台風被害という、「三重苦」が北朝鮮に重くのしかかっていることが挙げられよう。ヨーロッパの国際人道団体が発表した「2020年世界飢餓報告」によると、北朝鮮の栄養欠乏人口の割合は47.6%、2人に1人になるという。農地に適した土地がわずか20%ほどの北朝鮮は、食糧を国際的に確保する必要がある。北朝鮮にとっては、国内の政情安定ばかりでなく、北東アジアの安定化が欠かせないはずだ。非核化とキム体制の保証をめぐるアメリカとの核交渉、コロナ禍で貿易が激減した対中関係の強化、今なお休戦状態のままという南北関係の改善は、北朝鮮にとって避けられない最重要課題である。その一方で、軍事パレードで披露した最新型兵器は、北朝鮮が核・ミサイル開発を放棄しないという、強い意志・戦略を象徴する。2018年6月にシンガポールで初めて開かれた米朝首脳会談は、その後、ハノイ、パンムンジョムと繰り返されたが、交渉は行き詰まったままだ。南北首脳会談も3度行われてきたが、今年6月には北朝鮮がケソン工業団地の南北共同事務所を爆破するなど、挑発と対話姿勢を繰り返す北朝鮮の作戦が色濃く反映されている。軍事パレードで見せたキム委員長の言動は、北東アジア情勢に大きな影響を及ぼす次のアメリカの大統領が決まるまで、当面動きようがないことを見越したものなのであろう。大統領選挙が終わった後、アメリカ、中国、韓国、そして日本が北朝鮮にどう向き合うのか。いよいよ目が離せなくなる。

羽太 宣博(NHK元記者)         

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