始動した菅政権と危うい日韓関係

  • 9か月ぶりの日韓首脳会談

日韓首脳による電話会談は、韓国側の求めによるものだった。菅首相は戦時徴用をめぐって日本企業への賠償を命じた韓国大法院判決に触れ、「厳しい日韓関係をこのまま放置してはならない」「今後とも韓国に適切な対応を強く求めていきたい」と述べたという。一方、ムン・ジェイン大統領は「菅首相の就任を機に、強制徴用など両国間の懸案解決に向けた疎通努力を加速化していこう」「両国の立場に隔たりはあるが、すべての当事者が受け入れられる最適な解決方法を模索することを望む」と返したという。9か月ぶりとなった日韓首脳の対話は、これまでの冷え切った関係に照らして評価できなくもない。とはいえ、今回の電話会談は、安倍政権を踏襲する日本と従来の原則論を繰り返す韓国とのズレ、と言うより対立の深さを改めて浮き彫りにするものとなった。

  • 菅政権に対する韓国の反応

韓国は菅政権の誕生をどう受け止めたのだろうか。韓国では、安倍前首相は日韓関係を最悪にした張本人とされ、評判はすこぶる悪い。歴史修正主義とナショナリズムに根ざした「極右」の政治姿勢こそ、韓国人を「反日」に駆り立ててきたともいう。安倍政権の終焉を最も喜んだのは韓国だったのかもしれない。その国論を考えれば、韓国の政界やメディアが菅政権によって新たな変化が生まれることに期待したのも頷けよう。

菅官房長官(当時)が自民党総裁選に圧勝し、次期首相に事実上決まった翌日、韓国の大手各紙は菅政権誕生の社説をそろって掲載した。「菅氏、日本の新首相に事実上確定…韓日葛藤を解決しなければ(保守系中央日報)」、「菅新首相は安倍氏の陰から脱して韓日関係の新しい地平を開くべきだ(保守系東亜日報)」、「菅次期首相に韓日関係の前向きな姿勢を望む(革新系ハンギョレ)」など、菅政権発足を機に日韓両首脳が対話と解決に向けて努力するよう期待している。ところが、菅政権の閣僚の顔ぶれや対韓姿勢が安倍政権とほぼ同じと分かるにつれ、期待は萎み失望へと変わっていく。発足から8日目となった日韓首脳電話会談では、各紙とも淡々とニュース記事で取り上げたにすぎない。保守系朝鮮日報は「韓日首脳、20分間の電話会談で温度差」と強調した。中央日報は「菅首相は韓日関係に変化をもたらすだろうか」との書き出しで始まる寄稿文を掲載し、「菅政権でも韓日葛藤の解決は難しいもよう」と伝えている。電話会談以降、各紙とも日韓関係を取り上げる社説(日本語版)は見当たらず、その論調に微妙な変化が見て取れる。

  • 日韓関係の根っこにあるもの

安倍前首相は退任から3日後の19日、靖国神社を参拝した。韓国政府は直ちに「深い憂慮と遺憾」を表明し、靖国神社は「日本の収奪と侵略戦争を美化する象徴」と抗議している。安倍前首相の靖国参拝は2013年12月以来だ。当時、KBS国際放送の校閲委員として、連日のように関連原稿をチェックし、韓国側の反応の敏感さ、深刻さ、日韓の立場の違いを実感していく。日韓の根っこには、20世紀初頭から植民地として支配した日本、支配された韓国という、暗い歴史が重く横たわるのを思い知る日々となった。靖国問題に加え、竹島、慰安婦、戦時徴用、旭日旗、教科書など、歴史認識の違いによる問題は日韓関係をずっと揺さぶり、今後も続くだろう。

一連の歴史認識問題で、決して見逃してはならないことが2つある。2015年の慰安婦合意と2018年の戦時徴用をめぐる大法院判決だ。これらの問題は、国と国との関係を律する国際社会の法と原則に照らし、ほかとは次元が異なる、重大な問題を孕んでいるからにほかならない。まず、日韓慰安婦合意は国会での批准がなく、文書化もなされていない。どちらかの当事国が破棄しても違法とは言えない。しかし、国際社会で基本となる国家と国家の合意であることに違いはなく、一方的な反故は双方の信頼関係を損ない壊すこととなる。次に徴用をめぐる大法院判決を見てみよう。判決は日本が韓国を植民地化した日韓併合条約を無効とする。そのうえで、不法な植民地体制下、過酷な労働を強いた日本企業に損害賠償を命じたものである。国際法の観点からすると、日韓併合条約は当時の西欧列強の支配する国際社会でも広く認められた条約だった。第二次大戦後の人権や平和論、一方的な歴史認識に基づき、100年以上も前の条約を不法とするのは到底納得できるものではない。また、賠償を命じた判決は、韓国の請求権が「完全かつ最終的に解決した」とする、日韓請求権協定にも矛盾する。協定は今の日韓関係の基盤となるもので、これを無にすれば日韓関係は根っこから崩れかねない。

  • 日韓関係の行方

日韓関係が悪化した要因は根深い。同時に国際社会の法と原則に関わってくる。菅政権が誕生したからといって、関係が容易に改善できるわけではない。9か月ぶりの日韓首脳会談は20分と短く、双方とも対話の意思を示しながらも具体的な提案はなされていない。日韓は、対話を継続していけるのだろうか。

ムン政権は4月の総選挙で圧勝し、ほぼすべての権力を手中に収めた。ところが、法務部長官の家族ぐるみのスキャンダル、ソウル市長のセクハラ疑惑、慰安婦支援団体の不正経理などが相次いで発覚し、国民の不信感は高まっている。コロナ禍による経済の低迷も深刻だ。今年3月から8月までの半年間で、就業者数が200万人も減ったという。1年半余りの任期を残すムン政権のレームダック化も取沙汰され、支持率は45%前後に低迷している。険しい国内事情を抱え、ムン政権が日本に妥協する姿勢を見せるのは当面難しいように見える。

日韓双方に関わる国際環境も厳しい。米中対立が際立つなか、日米豪印の4か国は中国の脅威に対抗する安全保障対話の枠組み、「クアッド」の外相会談を10月6日に東京で開く。中国への経済依存度の高い韓国は参加に消極的だという。一方、同盟国・アメリカからは米軍の駐留問題などで強い圧力を受ける板挟み状態にある。韓国を評し、「仲間はずれ」「孤立」などの言葉も散見される。また、南北に挟まれた韓国北西部の海域では、海洋水産部の職員が北朝鮮軍に射殺される事件が起きている。キム・ジョンウン委員長が謝罪メッセージを送ってきたというが、3か月前、南北融和のシンボル、ケソンの共同事務所が爆破されたばかりだ。今の南北関係に予断は許されない。安保保障であれ経済であれ、北東アジアに絶大な影響力を持つアメリカは11月に大統領選挙を迎える。次の大統領が誰になるのかは北東アジア情勢に大きく関わる。韓国にとっても重大な関心事のはずだ。米、中、北朝鮮、そして日本との関係で、難しいかじ取りを迫られる韓国に、当面、迂闊な行動は取れないであろう。

12月、日中韓首脳会談が韓国で開催される。その際、日韓首脳会談も調整されているという。戦時徴用をめぐる裁判で、日本企業から差し押さえた資産の現金化が迫る、重大な岐路にたつ日韓。冷却しきった関係を緩和できるのか。アメリカの次期大統領と日米韓の外交戦が気に掛かる。                                                               

羽太 宣博(元NHK記者)

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