難病ALS患者・医師による嘱託殺人を考える―絶望にどう立ち向かうのか?―

本当に考えさせられた。他人事ではない。

全国で1万人程度しかいないといわれる、全身の筋肉の運動神経が萎縮して動かなくなる国指定難病のALS(筋委縮性側索硬化症)。手足、のど、舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉が徐々にやせて動かなくなる。しかし思考力は、正常なままだ。有効な治療薬も開発されていない。文字通り不治の病だ。

 胃ろう、人工呼吸器まで進み、完全な24時間介護付き寝たきり状態に進み、マブタでの視線入力によるパソコンでの意思表示しかできないようになる。発症してから約2年~5年で亡くなるケースが多い(「日本難病情報センター」hpより)。全く自由にならない身体、しかし頭脳は正常、周囲の状況は全て理解できる。

 もしあなたがALS患者ならどうするだろうか。安楽死、尊厳死―という言葉が浮かんでくるだろう。

 京都の51歳の自宅で寝たきりの女性ALS患者、食事・排せつの処理など24時間看護を受け胃ろうまで進んでいた。建築学を学ぶため米国留学の経験まで持つ。ツイッターなどで「死にたい」と発信。“医療に紛れて人を死なせる方法”を描いた「扱いに困った高齢者を『枯らす』技術」という本を、オンデマンド出版していた宮城、東京の医者二人とネット上でつながった。二人の医者は初めて会うこの患者宅を昨年11月訪問、わずか10分間で劇薬を処置、あっという間に医師は姿を消し、女性患者は死亡。介護士に発見された。

そして医師二人は7月23日、京都府警に嘱託殺人容疑で逮捕された。医師の口座には130万円の女性患者からの“謝礼”と思われる資金が振り込まれていたという。

れいわ新選組から当選、参院議員になった船後靖彦(61)さんは「41才でALSを宣告された当初は、出来ないことが段々と増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、『死にたい、死にたい』と2年もの間、思っていました。しかし、患者同士が支えあうピアサポート・グループなどを通じ、自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知りました。死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心したのです。その時、呼吸器装着を選ばなければ、今の私はなかったのです。」と事件直後の談話で語っている。
患者の絶望に立ち向かい、いかに生かすかの道を探るのが医師のはずだ。その道筋を付けるのが医師ではないか。

実は筆者はALSではないが、筋肉疾患症の一つである同じ国指定の難病、遠位性ミオパチー(Distal Myopathy)の患者。全国に千人程度しかいない希少難病だ。体幹から遠い末端の手足の筋肉から動かなくなる。この病気、20代前後で発症することが多く、10年以内に車いすになるケースがほとんど。徐々に体の中心部の筋肉の神経繊維部分が萎縮に進行する。ALSと同様に進行を止めたりする治療薬はない。ただ発症の原因はわかっている。両親が二人ともこの病気を発症に繋がる遺伝子を持っていることだ。片一方が持っていても発症はしない。両親の出会いの偶然がもたらす病気だ。それだけに日本の国内には数十万人に一人の患者しかいない。

筆者が認定されたのは今から14年前の65才の時。50歳を過ぎてから通勤で駅に急いで行くとき、以前は後ろの人に抜かれるようなことはなかった。フッと気が付くと後ろから来た学生に追い越されている。「年だな―」と思い気にもしていなかった。散歩が好きで一時間、二時間歩くのが平気だった。お堀端の竹橋の本社から新宿まで歩くのも苦にならなかった。しかし時々つまずいて、前に転倒、アスファルトでズボンをこすり穴が開き、何本かダメにすることが徐々に増えては来ていた。「加齢現象だな!」と納得して、さらに散歩に熱心に取り組んだ。病気だとは夢にも思わなかった。

ある時、左足首を捻挫して近くの整形外科病院に行って、治療をしてもらい立ち上がったところ「アレ、佐々木さんもう一度立って、踵(かかと)で立ってみて」言われて踵だけでは立てない。「もしかして筋肉の神経繊維部分が萎縮する疾患かもしれない。虎ノ門病院で診てもらって」。その先生は大学病院で「遠位性ミオパチー」の患者を、偶然とはいえ診たことがあったという。あとで患者会に入り、聞くと病名の診断を受けるまで病院をいくつも周り、1,2年かかってやっと分かることが普通だという。

虎ノ門病院で診察を受け、間違いなさそう―「筋肉疾患の専門病院の小平にある『国立精神神経センター萩山病院』で診断を受けてください」といわれて、そこで足の筋肉の採取などを行う手術を受けて、病名が確定した。

「60才過ぎて発症したのは珍しい。あなた学会でも有名だよ」と、この難病研究班の先生にいわれた。幸い老齢で発症したせいか、現在、進行が遅く両足に補装具を装着しながら杖を突き歩行はできる。しかし遅かれ早かれ車いす生活が待っている。
 この難病の残酷なのは大学生、社会に出て間もない若い人がかかるケースがほとんど。あっという間に車いす生活になってしまい、将来的には寝たきりになってしまう。筆者のように高度成長期、バブルの時代に新聞記者生活を満喫した社会生活を送った人はいい。患者団体の会合で会った杖を突いて歩いていた若い人が、半年後に会ったとき、笑顔で「イヤー車いすになっちゃいましたよ」。何と声をかけていいかわからない。筆者の体験してきた社会生活は無理だろう。 ただこの病気になって患者団体(PADM「遠位性ミオパチー患者会」https://npopadm.com/)に参加、車いすで積極的に参加する若いメンバーと知り合い、病気の中でどれだけ「今を生きる」という姿勢に感動したかわからない。

 代表の織田友里子さんは22年前の大学4年の時、この病気と診断され現在はほとんど歩けず、手は使えず、下がってきた髪の毛を直すことすらできない。しかし理解あるご主人と結婚、医者から危ぶまれながら子供を産み、車イスで福祉先進国デンマークに留学。帰国後は患者会活動のかたわら車イスで自由に街を歩けるバリアフリーの地図を作るアプリ開発を推進「Wheelog」(https://www.wheelog.com/hp/member)を立ち上げ、日本だけでなく国際的に広がってきている。ご主人の洋一さんの付き添いを受けながら全国での「障碍者が自由に街で生きられる国に」をめざして講演活動も行っている。

 さらに小澤綾子さん(38)はALSに似た筋ジストロフィーの患者、20歳で筋ジストロフィーと診断、「10年後は寝たきりになる」との宣告をうけた。

ショックを受けて下を向いてリハビリに取り組んでいると、医者から「下を向いて生きている人には誰も近寄ってこないよ。一人寂しく死ぬんだな」といわれた。一念発起、留学、海外旅行にでかけ、ポピュラー音楽のシンガーとして車いすに乗りながら演奏活動を展開している。初めて会った時は、まだ杖を突いていた。思い出した!10年前、東京・国立の一橋大学での織田友里子さんの講演を聞きに行った時だ。その後、結婚、お勤めの日本IBMの仕事もこなされ、車いす仲間のボーカルグループ・ユニット「ビヨンドガールズ」を結成、公演活動を行っている。

 船後さん、織田さん、小澤さん、それぞれ立場は違うがALSなどの筋疾患を抱え寝たきり、車いすになりながら、自分のできることを精一杯果たそうとしている。

「自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知り、死に直面して自分の使命を知った」(船後氏)、

「医者から、下を向いて生きている人には誰も近寄ってこないよ。一人寂しく死ぬんだな」といわれた。(小澤さん)

「障碍者が自由に街で生きられる国に」(織田さん)

もちろんALSなどの難病患者が全員、こんな前向きな姿勢になれるわけではないだろう。しかし懸命に生きている姿を見せていくことが、他の難病患者や障碍者にどれだけ励ましになるか。そのために医療や行政が、何ができるのか、をまず考えるべきではないのか。

 この事件を契機に性急に安楽死論議を始めるべきだと、自民党の一部から声が出てきているという。その前にALS患者などに「生きていける」システムが十分なのかをまず点検する必要があるのではないか。

 安楽死論議になるとすぐに、スイスで法律医的に認められているという議論になる。しかしスイスでは憲法の前文に「国民の強さは弱者の幸福によって測られるという事を確信して、以下の憲法を採択する」と記されている。
 そしてその憲法8条4項には「法律には、障碍者に対する不平等を除去するための措置を取る」とある。

 こういった深い「弱者保護」の立場を踏まえての安楽死論議だ、という事を知るべきだろう。へたをすれば「生産性のない人間は生きていく価値がない」―ナチスばりの優生思想につながりかねない。

虫の目ではなく、鳥の目での議論がなされるべきではないだろうか。

安易な安楽死論議が、難病患者や重度障害者に「生きたい」ということを言いにくくさせ、生きにくくさせていく社会的同調圧力を強くさせていくのではないだろうか。

佐々木宏人(元毎日新聞経済部記者)

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