ポストコロナ、ウィズコロナと京都。果たして、観光は産業たりうるのか

三井不動産グループが手がける〈HOTEL THE MITSUI KYOTO〉が、コロナ禍により数ヶ月の遅れはあったものの、無事竣工を果たし、11月上旬の正式オープンが発表された。場所は二条城の目の前という一等地。まさに、同グループの国内最高級に位置づけられるホテルに相応しいロケーションだ。

 時を同じくして、朝日新聞デジタル版の記事(7月17日付)が京都観光関係者にとっては、衝撃的な内容を報じた。本年5月期の外国人観光客が対前年比99.9パーセント減だったというものだ。しかも、この数字、延べ人数での調査ということで、一人の人間が5泊しても5人とかぞえている。つまり、じっさいの数字はもっと低くなる。

 たしかに、5月のGWの京都は異様だった。

 京都屈指の観光地である清水寺周辺の八坂の塔から二寧坂(二年坂)、産寧坂(三年坂)にいたる道は、すべての店がシャッターを下ろし、まるでゴーストタウンと見紛う有様。長年にわたって(といっても戦後)住む地元の人たちでさえ、こんな光景は見たことがないと、驚きを隠せないでいた。

 誰もが認める日本最大の観光地である京都だからこその大打撃とも言える凋落ぶりなのだが、その観光地化=産業はどういった経緯をたどってきたのだろうか。

 江戸時代後期の安永年間には、いまでいえば京都のガイドブックにあたる『都名所図絵』が刊行され、好評を博したという。しばらくすると、続編にあたる『拾遺都名所図会』が出たというから、やはり、当時から京都は、お伊勢さんとならんで「日本人なら一度は訪れたい場所」だったのだ。もちろん、都ということはあるにしても、奈良の大仏をしのぐ日本最大の仏像を構えている寺があるなどの話題にも事欠かなかった。

 明治になると、東京遷都があり、天皇とともに多くの公家や商人たちも東京に移住し去っていった。京都御所を取り囲むようにしてあった公家町も消滅し、京都の町中の景観は大きく変貌していった。他の都市に比べて、基幹となる商工業もなかったせいで、町は急速に活気を失い、残された人々はやる気を失い、町が荒廃していくのを感じ取っていたことだろう。

 そういった状況下、このままではダメだと、心ある人たちによる京都を復興させるための計画がいくつか策定されていく。総じて「京都策」と称されるものだが、その中に、名所や史跡、自然の景観を積極的にアピールするという、現在に連なる「観光政策」も盛り込まれていたのだ。

 第二次世界大戦後は、戦火を逃れた多くの文化遺産が、重要な観光資源となっていった。学校教育の一環でもある修学旅行の影響も大きい。誰もが生涯に一度は訪れる町・京都は、同時に日本人の「もう一つの故郷」といった形に、イメージ付けられていくことになった。そこへ、1970年代の旧国鉄が始めた一大キャンペーン〈ディスカバージャパン〉が拍車をかける。

 しかし、80年代後半のバブル期が契機となった観光の多様化は、豊かになった人々の足を海外に向かわせることになる。国内の観光地からは客が去り、当然のことながら京都も例外ではなかった。その難局を脱するためのあらたなブランディング戦略が「もう一つの故郷」から「すべての日本人の故郷」へという記号=イメージの転換だったといえるだろう。 

 2000年になると、行政も大きく動き始める。その五年前、年間の観光客数が3500万人を突破した京都市は、この年、年間「観光客5000万人構想」というのを打ち出し、10年後を目標とした。初年は4015万人だったが、なんと、前倒しの2008年に達成(5021万人)したのだった。そこからの勢いはすさまじく、ピークを迎えた2015年は5684万人。2018年は日本人観光客の減少があったとはいえ、5275万人となっている。

 外国人観光客はどうか。宿泊者数の推移を見ると、その急増ぶりがよく分かる。2000年は39.8万人だったのが、08年は93.7万人、14年は182.9万人、15年は315.9万人、17年は352.8万人、18年は450.3万人となっている。この20年未満の間に10倍以上に膨れ上がっているのだ。ちなみに、外国人観光客の延べ人数になると、2018年は、961.5万人という数になる。

 国全体における観光GDP比率は4.9%(2017年)だが、それに対して京都の比率は14%といわれている。観光依存度の高さがうかがえる。いったい、今年の観光客の減少数がどれくらいになるのか、現時点では分からないが、悲劇的な数値であることは間違いない。

 積極的な宿泊施設の誘致や野放図なインバウンドの取り込みが、オーバーツーリズムといった弊害を産み、昨年、京都市長は「京都市は観光都市ではない。生活者の街だ」と発言し、いままでの施策を修正せざるを得なくなった。皮肉ことに、現実が発言に追随してしまったともいえるだろう。

 とはいえ、いまだに新規オープンのホテルはいくつも控え、建設中ないしこれから建設といったところが市内のあちこちで散見されるの事実。

 果たして、観光は産業たり得るのか。ポスト・コロナ/ウィズ・コロナの時代において、真摯に向き合わなければならない課題であることは間違いない。

                                                    佐久間憲一 ( 牧野出版)

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