「あおり運転」事件、社会の不寛容性を示す

■「前の車が遅くて妨害されたと頭にきた」と供述

 8月18日、茨城県警が傷害容疑で全国に指名手配していた43歳の会社役員の容疑者を逮捕した。同県守谷市の常磐道で10日、試乗車の高級外車BMWに乗って数キロにわたってあおり運転を行い、相手の車を停止させて運転していた男性(24)に暴行を加えたという疑いだ。

 運転席の男性が何度も顔面を殴りつけられる様子がドライブレコーダーに記録されていた。その記録映像がインターネット上に流され、テレビのニュース番組でも何度も取り上げられた。だれもが高速道路上であおられる怖さと殴られる恐怖心を感じたと思う。

 無理に車間距離を縮めたり、幅寄せなどを行ったりするのがあおり運転だ。これまでの報道によると、茨城県警の取り調べに対し、容疑者は「前を走っていた男性の車が遅く、進行を妨害されたと感じて頭にきた」と供述したが、殴られた男性は「普通に運転していた」と話している。

 

■相手を許す寛容性の欠如さがあおり運転を起こす

 問題なく高速道路を走行している車を「進路を妨害された」と思い込んで「頭にきた」とあおった末、暴力を加える。これが今回の事件の顛末だろう。

 異常としか思えない行動は、いったいどこから生まれてくるか。

相手の車の走行の何が気に食わなかったのかは分からないが、「遅い」「妨害された」という供述は、容疑者の主観に過ぎないと思う。ちょっとしたことで切れて傷害事件まで引き起こす。容疑者には寛容さというものがない。気持ちに余裕が全くない。相手を許そう、あるいは認めようとする寛容性さえあれば、事件にはならなかったはずだ。

 車の流れに乗るが運転の基本だ。自分独りで走っているのではない。同じ道路を他の車といっしょに走行しているのだ。特に大きな事故を起こす危険がある高速道路では、速度や車線の変更など他車の走行状況をよく見ながら運転する必要がある。

 

■ディズニーは「車社会が人の攻撃性を強める」と見抜いていた

 車の運転には、その運転者の性格が出る。車という密室の空間に入ると、独りよがりになりがちだ。長距離を短時間で移動できるから、気持ちも高揚する。その結果、攻撃性が高まり、寛容さを失う。人間には元来、他者と戦おうとする攻撃性が備わっている。身を守るために必要だからだ。普段は理性で抑えているのだが、車の運転によって感情が高ぶって攻撃性が頭をもたげ、他者の言動を受け入れようとする寛容性を喪失させる。

 ウォルト・ディズニーの短編映画にこんなのがあった。アリも踏まないように歩く優しい人物が、いざハンドルを握ると、鬼のようになる。交通ルールを無視して乱暴運転を繰り返し、最後は事故を起こしてしまうというストーリーだった。子供のころ、白黒テレビで見た記憶がある。

 調べてみると、アメリカで70年ほど前の1950年6月に公開された「Motor Mania」(邦題「グーフィーの自動車狂時代」)という映画で、ディズニーキャラクターの犬のグーフィーがウォーカーさんという問題の主人公を演じていた。ディズニーは当時すでにハンドルを握ると人の悪い性格が出るという車社会の弊害を見抜いたのだろう。

 

なぜ寛容性が失われるのか。その答えを追究したい

 警察庁の統計によると、高速道路上での昨年のあおり運転の道路交通法違反(車間距離不保持義務違反)の摘発件数は約1万2000件で、前年の1・9倍にも上った。2017年6月の神奈川県の東名高速道路で夫婦2人が死亡して危険運転致死罪が適用されたあおり運転事故を受けて摘発捜査が強化されたせいもあるが、社会から寛容さがなくなってきた結果、あおり運転が増えているように思えてならない。あおり運転を受けた経験を持つドライバーも多いはず。

 2017年10月号のメッセージ@penで、政治家の不倫を取り上げ、「黙認できる寛容さがほしい」と書いたが、あのときは週刊誌だけでなく、新聞の社説までが政治家の不倫を取り上げていた(文末後のURLをクリック)。不倫とあおり運転では質が違うかもしれない。だが、これも寛容性欠如のひとつの表れだ。

 どうして寛容さが失われていくのだろうか。匿名で何でも発信できるネット社会の弊害なのか。貧富の差を広げてしまった政治のせいなのか。私たちが生きる自信をなくしているからなのか。その答えを求めて今後も書いていきたい。

木村良一(ジャーナリスト、元新聞記者)

2017・10 「政治家の不倫」黙認できる寛容さがほしい

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