この頃の日韓関係について思う

 20年ほど前に韓国駐在員をしていたが、その頃仲間内でよく言われていた言葉がある。『韓国勤務は二度泣く』だ。

 一度目は、赴任の内示が出た時である。『寒い・辛い・反日』の国になんで俺が!! という訳である。当時から『反日』は有名であった。この段階でなんとかもっともらしい理由を付けて辞退する人間も出た。

 さて二度目であるが、なんと帰国の辞令が出た時である。無論、帰国の喜びのうれし涙ではない。『暖かい・旨い・親日』のこんな良い所から何で日本に帰らなければならないのか、と泣きの涙で帰国することになる。

 『寒い』は、普通のアパートは床暖房(オンドル)による24時間完全暖房で、家の中では一年中、夏服・夏掛布団で過ごすことになる。私などは東京に出張した時に風邪を引いていたぐらいであった。

 『辛い』では、韓国宮廷料理を中心に辛くない料理が多数ある。また料理の『辛さ』のなかには旨味を感じるようにもなる。唐辛子や焼肉だけが韓国料理ではない。

 『反日』は、当時も確かに韓国の『国是』であった。しかし、どこの国でも『国是』だけで国民は生活していない。表向きはそれぞれが周りに合わせているが、『日本は嫌いだが、お前は好きだ。』などという言葉を親しくなった友人から聞くことになる。

 当時でも、大韓民国への日本人の一般的イメージはこの程度だったのだ。

 一方韓国でも、独立から年数を経て、昔は当然の様に隣に住んでいた『生身の日本人』を知っている人間が少なくなり、田舎では日本人を見たこともない方も居ることになっていた。

 現代では、観光客として多くの人間が相互訪問をしているが、基本的には当時以上に、バーチャル、イメージ、象徴としての日本・韓国、日本人・韓国人でしか認識しておらず、ニュースに出てくる世界中何処にでも居るようなパフォーマーたちの行動をとおして、相手を理解したつもりになっているのではないかと思う。

 実は、両国には、強弱、正否判断の軽重を別にして、その背景を直感として理解できる共通点が多い。例えば、最近韓国で流行っている『倭色』『親日』排斥運動なども、対米戦争中の『英語』排斥運動、野球の『ストライク』を『よし一本』と言い換える運動に良く似ている発想だと考えている。

 つまり、他の国より似ているのだ。これを言うと双方とも『いや、まったく似ていない』と嫌な顔をされるのが通例だが、お互いに『心の底から嫌われている』『全く似ていない』と思っているくらいよく似た国民だと、昔からよくからかっていた。

 最近でもWEBで『朝鮮日報』『中央日報』『東亜日報』の日本語版に目を通していると、外国であるから、それぞれその背景は異なるのはあたり前であるのに、根底には「自己の考え方、社会体制は相手も同様であり、自分の思うことは相手も正しい事だと思っている」という両国のよく似た考え方が読み取れる。

 各紙の『安倍総理に対する批判』記事・論評は総じて、韓国に対する日本の政策や態度は安倍総理個人の右翼的嗜好によってなされており、彼が変わればすべてが解決するような思考でなされているものが多い。議院内閣制の総理大臣と直接選挙で選ばれる韓国の大統領も同じ様に映っているようだ。最高指導者が決断すれば、政府も国民も従うはずだと信じている。

 韓国の大統領は選挙で選ばれた王様で、王朝毎にそれぞれの一族の繁栄が求められ、対立王朝が出れば糾弾され、国としての方針も大きくひっくり返される。個人に何か不祥事があれば、一族を守るために必死で保身に走る。こう考えれば、日本人が約束を守らないと怒る現象にも、良し悪しは別にして一定の理解ができるのではないか。逆に韓国人から見れば、日本人はなんと杓子行儀で『情』の無いことをするのか、ということになる。そしてそこに共通し、両国民が簡単に直感できる概念に『忖度』がある。

 以下思うままに。

 近代化が進んだ90年代でも韓国での職業差別は激しかった。飲食街、花街で働く女性たちは『落倫』と呼ばれ差別されていた。まして親に売られた娼婦となれば、親類縁者から無かった人間にされてしまう。それが日帝に拉致されたとなれば、歴史的被害者でありみんなが目を向けてくれる。

 その当時の両国の人間は、彼女らの生まれた背景を十分に知っていた、娘の身売りは日韓両国で日常だった。私も九州南部の農村出身の母親からその辺の話を聞いている。そして自分自身は幸いにもそんな環境では無かったが、その方々への軽蔑は無く同情的だった。慰安婦問題が最初に問題化したとき、ある韓国人評論家が「ある意味で彼女らは戦友ではないか、その戦友が今、身寄りなく経済的にも困っている。それを助けないのか」と発言したのを聞いたことがある。

 社会には職人を一段下に見る風潮がまだあったものの、「台湾少年工の様に、働きながら学び旧制中学卒業の資格が得られる。応募した俺は、優秀だから選ばれて日本に働きに行った。金も稼げた。」そんなことを言ったら、すぐに現代社会の空気を読めないKYになってしまう。

 強制された徴用工だった。みんなが目を向けてくれる、戦後の混乱で帰郷、稼いだ金も無くなってしまった。現在も貧しい生活をしている。あの時の金があったならば、どうだろう。弁護士も一緒にやってくれる。有り難い話だ。

 事実として、朝鮮総督府は京城帝大だけでなく、広く各地の一番優秀な人間を採用していたが、現代ではそんなことは話題にもならない。そして、「日本は『慰安婦も徴用工も存在しなかったと』主張している。実に怪しからんことだ。」と、韓国社会では認識しているようだ。

 さて昨今の日韓摩擦である。

 詳しくは専門家に分析してもらいたいが、私はもっと単純に考えている。双方の指導者に、昔一緒に対米戦争を戦ったり、国造りをした個人的『仲間』が居なくなり、『理屈は通らないけれど、お前が言うならショーガねーな』『そこんとこ、俺の立場も解ってくれよ』という、両国共通ニュアンスの会話ができ無くなったからだと思う。

 両国のそれぞれの立場で、正当に『正しい事』『もっともな事』をぶつけ合っている。お互いに不幸であるが、理想・理屈での殴り合いに疲れて、社会全体がふと我に返る時まで、待つしかないのではないかと思っている。幸いにして、現状では武力戦争までには至らないと思うし、その間、少数者になるかもしれないが、縁ある者が仲間として、生の人間として、率直に付き合いを重ねていくしかないのではないか。

 そうすれば、「日本人は、こちらが主張していることを黙って聞いているので、同意してくれているのかと思ったら、急に鬼の形相になり、殴りかかってくるどころか、凶器を出して殺しにかかってくるから怖い」と言われることも無くなると思う。

上田進朗(元明治安田生命職員)

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