アムステルダム便り 「NO」と公言できないオランダ社会-欧州議会選挙から考える-

慶應義塾大学から昨年8月より1年間、オランダ・アムステルダム大学へ交換留学で派遣されています。

 オランダ人にとっては「当たり前」の国民文化に疑問を投げかけ、その背景を探っていきたいと思います。

 

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 先日、オランダ国立バレエ団の公演を初めて観劇した。演目はクラシックバレエの定番『白鳥の湖』。架空の王国を舞台に、王子と魔法で白鳥に姿を変えられた姫の悲劇的な恋が描かれる。

 第1幕、王子の誕生日を祝い、宮中で友人らが祝福の舞いを披露する。過去に観劇した『白鳥の湖』と異なり新鮮だったのは、華やかな宴を披露する人々の中にアフリカ系やアジア系の顔立ちが多く目立ったことだ。これほど多様な人種のダンサーが揃っていること、さらにそれが違和感のない光景として観客に受け入れられていることに驚いた。

 オランダは、本国以外に三つの特別自治体を有する。カリブ海に浮かぶアルバ、キュラソー、シント・マールテンだ。また、旧植民地のインドネシアやスリナムにルーツを持つ、移民2世・3世も国内には多い。「背が高く、金髪碧眼」という先入観はとうの昔に忘れ去られ、今や同じオランダ人でも肌の色が違うことは当たり前になっている。ほとんどの市民が高い英語能力を身につけているにもかかわらず英語で話しかけないのも、人を見かけで判断しないからだろう。

 しかし、歴史上移民国家として歩んできた国でも、移民・難民排斥を支持する声は強くなっているようだ。欧州の統合と、欧州連合(EU)の移民政策の今後を占う欧州議会選挙の開票結果が先月27日、発表された。オランダ選出の全26議席のうち、トップの5議席を獲得したのは最大野党「労働党」。EUに懐疑的な勢力は、大方の予想ほどは議席を伸ばさなかったものの、反移民政策を打ち出す新党「民主主義フォーラム」が3議席を確保した。オランダのEU離脱と国境の復活、さらにはイスラム教徒の排除を訴えての躍進だ。

 諸外国から見れば、昨今のEU情勢にかんがみて、極右政党が支持を集めるのは不思議ではないかもしれない。だが、オランダに住む「外国人」の目からは、この結果はやはり驚きだった。というのも、オランダで世代を問わず「反移民」「脱EU」を信条とする人に出会ったことがないからだ。

 

英国で見た「物言わぬ多数派」の存在

 

 ふと、今年3月に英国を訪れた際に覚えた違和感が蘇ってきた。ロンドンやスコットランドなど、2016年の国民投票でEU「残留」が過半数を占めた大学都市から、ヨークシャーやウエスト・ミッドランドなど「離脱」を支持した工業地域まで、北から南を縦断した。ここでも、あらゆる場面で出会った人々に「ブレグジット(英国のEU離脱)」について話を持ち出してみたが、多数派であるはずの「離脱」支持者には一人として出くわさなかった。

 北部ノース・ヨークシャー州では、主要都市ヨークの近郊で、同州で最も「離脱」票の割合が大きかった(66%)地域を訪れた。インフラや小売業などの第三次産業が経済を下支えする同地域のスケルトン村で立ち寄ったパブでも、案の定この話題になった。

 「離脱と残留、どちらに投票しましたか?」

 英国がEUを離脱する最初の期限、3月29日が翌々日に迫っていたこともあり、筆者があえて口に出さずとも全ての会話は「ブレグジット」で持ちきりだった。

 地元の大学で助教として勤める50代の女性は「残留に投じた」ときっぱり。しかし、電力会社に勤める同じく50代の夫は「覚えていない」。挙句の果てにパブを経営する男性には「国民投票? 何のことか分からないね」とはぐらかされた。

 「覚えていない」と答えた男性の口調に冗談めいたものはなかったが、「離脱」と「残留」のたった二択を問う国の一大事に、どちらに投票したか忘れる訳があるまい。これは一個人の見解にすぎないが、今に至るまでの「離脱」をめぐる混乱を経て、また「排外主義者」のレッテルを貼られることを恐れて、実際には「離脱」票を投じた人の多くがそれを公言できないような息苦しさを、英国のあちらこちらで感じた。

 

NO」と公言できないオランダ社会

 

 オランダに話を戻そう。この国もまさに、移民・難民に対して公に「NEE(=NO)」と言えない息苦しさに支配されてきたように思う。16世紀初頭にイベリア半島を追われたユダヤ人を多数受け入れて以来、移民・難民は世代を越えてオランダ社会に同化し、やがてその受け入れの是非を問うこと自体が一種の「タブー」と化した。

 かつて「反移民」「反イスラム」を訴え、オランダ最初のポピュリスト政治家とも評されるピム・フォルタイン氏は、04年に人権保護活動家によって暗殺された。現代のオランダ社会には、こうして「寛容」の精神が時折歪んだ「不寛容」として表れる瞬間がある。

 「寛容」とは「異なる価値観そのものを受け入れること」ではなく、「異なる価値観の存在を認めること」だ。今回の欧州議会選挙では、オランダにも移民の受け入れに対して後ろ向きな有権者が一定数いることが明らかになった。この存在を無視すれば、英国の国民投票のように「サイレント・マジョリティ」の不満が一時に噴出する日が来るだろう。

 メディアが中心となり、移民・難民の受け入れに「JA(=YES)」一択ではなく、「NEE(=NO)」と言える平等な議論の土俵を整えることが、真の「寛容」な社会に向けたオランダの次のステップだ。

 

広瀬航太郎(慶應義塾大学法学部政治学科4年)

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