~韓国・KBSの730日~パクタ・スント・セルバンダでしょ?~            

001b 平昌冬季オリンピックが2月9日に開幕する。南北の選手が統一旗を掲げ、同時に入場するという。平昌オリンピックは、文字通り「平和の祭典」となるのか。また、北朝鮮による核の脅威が軽減に向かうのか。不透明さが付きまとう、その行方が気にかかる。その開会式に安倍首相が出席する。日韓首脳会談も行われ、北朝鮮の核ミサイル問題とともに、韓国が先日発表した日韓慰安婦合意に関する新方針をめぐり、意見を交わすことになるという。韓国の新方針は、合意は「公式的」だったとして、破棄・再交渉はしないとしながらも、日本政府の拠出した10億円を韓国が肩代わりするとしている。ムン・ジェイン大統領は、10日の年頭会見で、「誤った結び目は解かなければならない」、「心を尽くした(日本の)謝罪が必要」と述べ、「完全かつ不可逆的な合意」を事実上反故にするものとなった。ロウソク集会に象徴される市民の声を背負うムン大統領の決断は、慰安婦問題に対する国内世論を慮った苦渋の策だったのだろう。とはいえ、国家の合意は、批准や世論の如何にかかわらず、政権が代わっても効力を失うことはない。韓国の新方針は、国際的かつ普遍的な国際法上の公理「パクタ・スント・セルバンダ(合意は拘束する)」に背く。

世論が条約や国家の合意に優先する韓国の振舞いは、慰安婦合意の新方針だけに留まらない。筆者がKBSワールド校閲委員として在任中、対馬で発生した仏像窃盗事件にも見て取れる。2012年10月、韓国人の窃盗グループが長崎県対馬から仏像2体を盗み出し、翌年の1月に逮捕された事件だ。その後、1体は対馬に戻ったものの、長崎県指定の有形文化財「観世音菩薩坐像」は未だに戻っていない。韓国中部・瑞山市の浮石寺が問題の仏像は14世紀に倭寇によって寺から略奪されたものと主張し、日本に返還しないよう求めたことに起因する。韓国・大田地方裁判所は、流出の経緯が明確になるまで仏像を日本に返還してはならないと決定。2017年1月には、浮石寺の所有権を認め、仏像を寺に引き渡すよう命じる。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の文化財不法輸出入等禁止条約によれば、盗難文化財の原則返還を定めており、日韓はともに批准国だ。加えて、仏像が対馬に不法に渡ったという証拠はなく、仏像を返還しないのは国際条約からも理屈に合わない。仏像を保管する韓国政府は即日控訴し、現在審理中だ。韓国は多数の文化財が流出した歴史をもつ。日本には今もおよそ7万点あるという。多数の文化財が流出したまま戻らない現状に、本来韓国にあった仏像なら盗み出したものであっても、日本に返す必要はないというのが韓国の本音である。この歴史認識こそ、条約や法律に則るべき法治主義に代わる、世論が左右を決する「国民情緒法」の根源となる。

世論が支配する法社会について、韓国メディアはどう報じているのだろうか。まず、仏像窃盗事件でみてみよう。いずれのメディアも、当初は事実関係を淡々と伝えていた。事態が進展するにつれ、保守系の朝鮮日報、中央日報、東亜日報は、揃って批判的な論調へと変わっていく。中央日報は、2013年9月29日の社説で、「浮石寺の仏像返還、理性的に対処せねば」と題し、「略奪されたものだから窃盗行為の盗品として戻ってきてもいいという考え方は、グローバルな視点から見て潔くも穏当でもない」と論じている。また、浮石寺に仏像を引き渡すよう命じた判決については、朝鮮日報が2017年1月27日の記事で、韓国の専門家の多くが「略奪された文化財だとしても、適法な手続きによって返さなければならない」と考えているとし、「略奪文化財でも法に従い返還すべき」だと報じている。一方、慰安婦に関する日韓合意の新方針についてはどうだろうか。ムン大統領誕生の原動力となった進歩派のメディアは、温度差はあるものの、ムン政権の新方針を認める立場だ。これに対し、保守系のメディアは、国際社会における韓国の立ち位置や冷却した日韓関係に強い懸念を示している。このうち、中央日報は、2018年1月12日の論説で、「韓日合意を破棄せず幸い、凝りは残る」との見出しで、国際的合意の重みを強調し、世論を慮るあまりに条約や合意を無視するムン政権の外交政策を批判し続けている。

筆者がソウルで駐在を始めたのが2012年9月。あれから5年余りが経ち、韓国が名実ともに民主的近代国家へと脱皮を目指すなか、韓国メディアも少し変わりつつあると思った。メディアは、ときに世論を誘導・操作し、あるいは迎合し、批判を浴びてきた。そのメディアが世論を慮った外交政策を批判するとなれば、何よりも真実を追究し伝えることで、「知識の共有」という世論の「形成」を図ることが求められよう。同時に、決して世論に迎合することない、確固たる理念、ジャーナリズムが問われなければなるまい。その根っこの部分に、世論によっても決して揺るぐことのない、国際的かつ普遍的な公理「パクタ・スント・セルバンダ」が位置している。
羽太宣博(元NHK記者)

Authors

*

Top