ミニゼミリポート「座間市9遺体事件と報道」

 2017年11月29日、今年度第4回のミニゼミが三田キャンパスで開催された。今年10月に発覚した座間市9遺体事件を題材に、事件の「本質」と報道のあり方について、ジャーナリスト6名、研究所所属の教授2名、学生8名が議論を交わした。
 座間市9遺体事件とは、今年10月31日に神奈川県座間市のアパートの一室で、男性1人、女性8人とみられる遺体が発見された事件である。逮捕された白石隆浩容疑者(27)は、今年3月ごろからツイッターなどのSNSを通じて被害女性らと接触していた。殺害された8人の女性は10〜20代の若者で、いずれもSNS上で自殺願望をほのめかしていたという。白石容疑者は誘い文句として「一緒に死のう」などと呼びかけ、8月から10月の間に9人を誘い出し、首を吊って殺害したと供述している。
 はじめに、学生から同事件の報道分析についての報告があった。分析の対象となったのは、世界最多の発行部数を誇る読売新聞だ。初期報道で、読売新聞は容疑者の人物像や遺体の発見状況、現場近くに住む住民の証言などの基本情報を伝えた。そして容疑者の供述から、事件発生までの経緯にSNSが関わっていることが明らかになると、報道の焦点はSNSの危険性、それに対する各家庭や学校での対策へと移っていった。
 少なくとも読売新聞の報道は、座間事件をこうした表層的な視点でしか捉えられていない。事件の本質は、SNS上で若者の「死にたい」発言を生み出している「若者の疎外感」や、それに無関心な社会での「生きづらさ」にある。新聞メディアの報道には「本質」が欠落しているのではないか、というのが学生からの提言だ。
 これに対し、ジャーナリストの一人からは、SNSの危険性を扱うことが「表層的」とは言えないのではないか、という異論が上がった。被害者が亡くなっている以上、「本質」がどこにあるのかを探ることは難しい。当然、取材者側には今後同様の事件が起きるのを防がなければならないという信念がある。そのためにジャーナリズムができるのは、周辺取材から被害者間や同様の事件との「共通点を探る」ことだ。そこに共通項があれば、第2、第3の被害者を生み出さないための手立てが見出せるかもしれない。この事件については、いわゆる自殺サイト利用経験者の証言を取るなどの取材方法が考えられる。
 周辺取材には時間がかかる。ミニゼミ開催時点では、事件発覚から1ヵ月も経っていない。「本質」を浮き彫りにするにはまだ時期が早いのではないか、というのがジャーナリストの見立てだ。また、自殺願望を持つ8人もの若者がSNSに助けを求め、殺人犯に出会ったということは揺るぎない事実であり、取材要素の一つとして押さえなければならない。「できることからやっている」というのが現場の本音ではないか、という意見もあった。
 続いて議論は、被害者がなぜ容疑者に会いに行ってしまったのか、という事件そのものの考察へ移る。ジャーナリストは、新聞に寄稿していたある識者の「親密なる他者」という言葉を紹介。姿の見える「他者」に対しては、例えその相手と同じ悩みを共有していても、自らの境遇と比較して僻みや劣等感を抱いてしまうことがある。しかし、相手が匿名の「親密なる他者」であれば、その人物を十分に知らないからこそ、「自分のことを理解してくれるのではないか」という期待を持つことができる。その「親密なる他者」との出会いを提供するのが、ツイッターなどのSNSなのだ。
 匿名コミュニティでのやり取りが、現実空間での対面へと移行することに疑問を呈する声もある。しかし、昨今は匿名の人物を相手にインターネット上で商品を売買できる「フリマアプリ」が普及するなど、他者と実社会で繋がることはますます容易になっている。「ネット」と「リアル」の境界線はもはや不鮮明だ。
 「死の社会学」を専門とする教授は、今日のインターネットにおける自殺対策が、ネット心中が取り沙汰された時代とは異なる段階の困難に直面していると強調する。過去に社会問題となった自殺サイトは、自殺志願者が「死にたい」という気持ちを共有するために始まった。しかし、SNSでは何者かによる「死にたい」発言が全てのユーザーの目に触れ得る。一つのウェブサイトを規制するだけで事足りる、という次元に止まらなくなっているのだ。
 座間事件発覚の翌週、政府がツイッターへの書き込み規制の検討に入ったと報じられた。確かに、SNSを媒介とした大量殺人事件が発生した以上、何らかの再発防止策を立てる必要はある。しかし、SNS規制を検討するのであれば、表現の自由を担保するためにも、それは外からではなく内からの自助努力として達成されなければならない。規制が進んだとしても、自殺願望を抱える者たちの居場所は別のコミュニティに移るだけだろう。
 日本では、若者の死因第1位が自殺であり、その発生件数は先進国の中でも群を抜いているという。数字として表れている若者の「生きづらさ」の正体を解明できなければ、また同様の事件が繰り返される。一刻も早く適切な措置を講じるためにも、マス・メディアには、継続した周辺取材と事件の「本質」を突くような報道が期待される。
次回のミニゼミは3月7日(水)を予定している。

広瀬航太郎(慶應義塾大学法学部政治学科2年)

Authors

*

Top