ニュース国際発信の日々~KBS校閲委員の730日~

李元大統領による竹島訪問                           

■「イルボネソ ワッスムニダ(日本からきました)」
 2012年9月4日。ソウルは朝から雨だった。午前9時前、漢江の中洲、汝矣島(ヨイド)のKBSに着く。李明博元大統領が8月10日に島根県の竹島(韓国でいう独島:ドクト)に電撃訪問して3週間余り。また、天皇陛下に対する謝罪要求は、度を越えた非礼な発言として日本の反発を買い、日韓関係が急速に冷え込んでいく最中だった。KBSワールドラジオ日本語班(以後日本語班と略す)に一人初出勤する本音は、孤立無援の心境であった。
 日本語班では、チーフ以下職員3人とラジオの出演者らが笑顔で迎えてくれた。また、英語、中国語、ベトナム語などほかの10の言語班を回り、「アンニョンハセヨ!イルボネソ ワッスムニダ」とあいさつすれば、英語や日本語で親しく応え、「孤立無援」は考えすぎかとも思った。早速、仕事の説明を一通り受け、原稿の校閲に取り掛かった。この日出稿されたニュース原稿は合わせて10本だった。竹島関連の原稿はなかった。遅かれ早かれ、件のニュースを校閲する立場から、何よりも気になることがあった。

■韓国メディアの論調と日本
 悪化する一方の日韓関係について、韓国メディア(各紙日本語版を参照)や日本語班は、どのように伝えていたのであろうか。社説・論評はニュース原稿と違い、主張が色濃く反映される。竹島訪問の翌11日、大手各紙の社説は一様に韓国の立場を肯定し、擁護するものだった。韓国最大の発行部数を誇る朝鮮日報の社説は、「李明博大統領の独島訪問」と冷静な見出しながら、竹島訪問について、日本が韓国に対して犯した罪を反省せず、慰安婦問題や歴史問題で居直っているとし、これまでの日本の行動にこそ責任があると主張している。中央日報では、「竹島訪問は日本が自ら招いた」と題し、「韓国の領土を大統領が訪問するのはごく普通のこと」とし、(日本政府は)日本大使を帰国させ…大騒ぎ…」と表現し、日本の対応を冷ややかに論じている。東亜日報は、「日本に“独島は韓国領土”を知らしめた李大統領」との社説で、「正しかった」と表現し、竹島訪問を正当化する。
 一方、日本の大手新聞も竹島訪問を社説などで取り上げている。「大統領の分別なき行い」(朝日)、「日韓関係を悪化させる暴挙」(読売)、「竹島訪問の愚」(日経)、「暴挙許さぬ対抗措置とれ」(産経)など、訪問を強く非難している。メディアの世界でも浮き彫りになった日韓の対立の構図に、ジャーナリズムが元来陥りやすいナショナリズムやエスノセントリズム(自民族中心主義)が色濃く見えてくる。
 李元大統領の竹島訪問は、その後も日韓双方に様々な波紋を広げていった。武藤正敏駐韓日本大使の一時帰国、日本政府によるICJ=国際司法裁判所への提訴の動き、自衛隊と韓国軍の防衛交流の延期、広報合戦、日韓スワップ協定の延長問題などが相次ぎ、韓国側の厳しい用語や言い回しによる主張が目立った。日本政府が竹島問題のICJ提訴方針を決めると、韓国メディアは「国際司法裁に付託、紛争化狙う」「他国領土を狙う日本の独島提訴」「日本は歴史、国民感情、国内政治を独島問題に利用するな」「日本の独島ICJ提訴は策動だ」など、日本政府の対応をおしなべて批判・非難している。

■竹島関連ニュースと日本語班
 日本語班の対応はどうだったのであろうか。日本語班は、ニュースとは別に、週1回の「金曜座談会」や「今週のキーワード」と名付けた解説・論評番組を放送している。金曜座談会は、17日に「李明博大統領の独島訪問と韓日関係」と題し、竹島訪問の背景や双方の受け止め方、日韓関係の安定を取り戻すための方策について話し合っている。いずれも日韓の一方に偏することなく、公平・中立への配慮がに滲み出るものになっていた。
 一方、ニュースは、李元大統領の竹島訪問の8月10日以降、着任前日の9月3日までに47本あった。このうち、「独島問題 日本は国際司法裁判所へ提訴検討」「野田首相が李大統領に親書 遺憾表明」「日本国会決議案 独島を1日も早く実効支配すべき」など、日本の立場を伝えるニュースが11本あった。日本語班の解説・論評番組とともに、ニュースにも、公平・中立性に配慮する姿勢が垣間見ることができた。

■ニュース国際発信を見つめて
 校閲の仕事を始めるにあたって、日韓関係を大きく揺るがした竹島訪問をめぐる日韓双方の論調や日本語班の報道姿勢をつぶさに検証することで、ニュース国際発信の在りようのいくつかを考えることができたように思う。ジャーナリズムが陥りやすいナショナリズムやエスノセントリズムをどこまで排すべきか。ジャーナリストに付きまとう国籍とどう折り合いをつけるのか。やはり歴史と事実に徹し、真実を求めるほかあるまい。
 着任から1か月後の10月4日に記した日記を紹介する。当日「韓国政府 独島広告で初の予算を編成」と題したニュースを校閲し、収録にあたってのニュースオーダーをどうするかで思い悩んだとあった。このニュースを重く扱えば韓国側の立場を鮮明にし過ぎ、軽く扱えば韓国発のニュース色が薄れてしまう。収録直前に決し、トップ項目には「韓日関係悪化で日本人観光客減少」と決めたうえで、2項目に据え、3項目目に「消費者物価 上昇」としたと記している。校閲委員として少し慣れたことを実感することができた。
 離任する2014年9月2日まで730日。その間、ニュース国際発信の日々を見つめながらの校閲となった。竹島関連のニュースはキーワード検索で153本あった。
羽太 宣博(NHK元記者)

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