「那須の雪崩事故」山に絶対安全などない

 自然を侮ってはならない。これが栃木県那須町の茶臼岳(1915㍍)で、雪上訓練(雪訓、せっくん)中に高校生ら8人が雪崩に巻き込まれて死亡した事故の教訓だろう。
 問題の雪崩の事故は3月27日午前8時半ごろ、茶臼岳の中腹のスキー場付近で起きた。栃木県の7つの高校の生徒46人と引率の教諭ら9人が雪訓に参加。このうち先頭の14人がゲレンデから外れた横の急斜面の樹林帯を登り切った尾根で雪崩に遭遇した。
 事故当時、吹雪で会話は通じなかった。周りも見えない。そこに突然、天狗の鼻と呼ばれる岩付近から時速50㌔以上のスピードで大小の雪の塊が長さ160㍍以上にわたって滑り落ちた。あっという間に高校生たちは雪崩に飲み込まれた。古い雪の上に積もった新雪が滑り落ちる表層雪崩とみられている。
 那須町では未明から雪が降り、翌朝には新雪が30㌢ほど積もっていた。この時期としては異例の大雪だった。前日から雪崩注意報も出ていた。このため雪訓は茶臼岳の登山を中止し、雪をかき分けて進むラッセル訓練に切り替わった。だが、この訓練中に事故が起きた。
 それにしても雪崩による事故を避けることはできなかったのだろうか。なぜ雪上訓練自体を中止して下山しなかったのか。
 つたない雪山経験から私は当初、避けることのできない「天災」と考えた。ラッセル訓練に切り替えた判断も間違っていないと思った。新聞の「無謀な強行判断」という見出しはおかしい。自然の力の前にどうすることもできないことがある。だから訓練とはいえ、それなりの覚悟がいる。
 しかし事実関係が明らかになるにつれて考えが変わってきた。引率者の判断ミスという「人災」ではないかとの思いが強まった。
 その理由の極めつけが、3月29日に行われた50歳になる現場責任者の教諭の記者会見だ。記者会見で彼が使った「絶対安全」という言葉である。教諭は雪崩の危険性について「雪崩が起きやすいところに近寄らなければ大丈夫だろう」「今回と同じ場所でラッセル訓練を行ったことがある」「経験則から雪崩はないと考えた」「絶対安全と判断した」と述べていた。
 しかし山に「絶対安全」などあり得ない。どんな山でも危険と隣り合わせと考えるのが常識だ。
 現地調査した専門家は事故現場を「典型的な雪崩発生地形」と分析。一帯は国の指定する「雪崩危険箇所」にもなっていた。7年前にも同じ訓練中に高校生らが雪崩に遭っている。しかもこのときの引率教諭たちが今回の訓練も引率していた。50年ほど前にも同じ斜面で1人が死亡する雪崩事故が起きていた。春になると、大小の雪崩が起き、地元の人は近づかない。スキー場は雪崩の危険性から2月下旬の数日間、閉鎖されていた。こうした情報をしっかり把握していたのか疑問である。
 現場にいた教諭が現地本部の旅館に駆け込んできて遭難を伝え、栃木県警に110番した。雪崩発生から50分も過ぎていた。訓練に参加した教諭たちは無線機や携帯電話を持っていたのになぜ、連絡が遅れたのか。記者会見した教諭は「旅館で精算していて無線機を10分程度車に置いたままで連絡が取れない状態だった」と説明している。
 ところで私は雪崩事故の23日前の3月4日の土曜日、茶臼岳に登っている=写真。茶臼岳という名称は那須岳の主峰を指す。那須岳の別称でもある。日本百名山のひとつで活火山だ。60万年前から火山活動が始まり、1408年~1410年には火砕流による被害で約180人の死者を出した。いまも白い噴煙を上げている。
 私が頂上を踏んだときの噴火警戒レベルは「1」と最低段階だったが、戦後最悪の火山災害となった2年半前の御嶽山もレベル1で噴火しているため、雪崩よりも噴火の方が気になった。
 噴火のほか、気を使ったのが強風だ。冬場は頂上付近で体が吹き飛ばされるほどの風が吹き、登頂を断念することが多い。頂上付近はこの強風で雪が付きにくく、雪はスキー場のある中腹あたりに多く積もる。夏場は雪がなく、風もさほど強くない。車やロープウエーが使え、子供連れの家族でも楽に登れる。
 夏場の登りやすさや冬場にスキーが楽しめることから簡単な山というイメージが強い。そこに過信が生じ、事故を招いたのだろう。
 皮肉にも自然に対する恐れを自覚し、事故を回避するための訓練中の事故だった。しかも亡くなった7人は将来のある高校生だった。この痛ましいさを忘れてはならない。
 これから北アルプスなど高山では雪解けが進み、GWには雪崩による遭難事故も発生する。自然を侮らず、慎重に行動したい。自らに対する戒めでもある。
木村 良一(ジャーナリスト)

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