ドキュメンタリー制作者を育てる

 Tokyo Docs というドキュメンタリーの国際共同製作のためのイベントを毎年秋に開催して6年が過ぎた。7年目の今年も開催に向けて準備が着々と進行している。
T okyo Docs が他のイベントと大きく違うのは、ドキュメンタリー制作者が国際共同製作を目ざして自分の企画を世界の有力プロデューサーに売り込むことに特化していることである。この仕組みをピッチングセッションと呼んでいる。
 これまでに140本余りの企画がピッチングセッションでプレゼンされ、40本近いドキュメンタリー作品が国際共同製作で完成したり国際共同製作が進行中だったりしている。しかし世界の有力プロデューサーの前で自分のドキュメンタリー企画をプレゼンするのは決して簡単ではない。日本語によるプレゼンには英語の同時通訳が付くが、やはり英語のプレゼンが望ましい。しかも日本と欧米ではドキュメンタリーに対する考え方が微妙に異なっている。日本のドキュメンタリーが欧米と同じスタイルである必要はないものの、説得力あるプレゼンを行うためには、その違いを認識したうえで、自分の企画の魅力と独自性を印象付ける必要がある。
 こうした力を身に着けてもらうために、昨年Tokyo Docsにマスタークラスを開設した。優れた企画を持つ潜在力のある制作者に毎月1回の特別授業の機会を与えて、ドキュメンタリー制作者を育てようという特訓コースである。講師はドイツ人女性プロデューサーで、講義はスカイプを使ってドイツとインターネットでつないで行い、Vimeoというサイトを通じて映像素材を見ながら議論する。
 第1回の昨年のマスタークラスでは10数本の応募企画の中から3企画を選考した。4月の最初の顔合わせでは、まず英語による担当制作者の自己紹介から始まった。2人の女性制作者は英語が堪能で、自己紹介もそれに続く質疑応答も何ら問題なく終わった。しかし3人目の若手男性制作者は、自己紹介に多少難儀し、質疑応答は先輩女性プロデューサーの助けを借りて何とか乗り切った。
 ドイツ人プロデューサーからは多くの宿題が出された。自分の企画の狙いを明確にすることともに、最も重視されたのは、どのようなストーリーで描くかを明確にすることであった。ドキュメンタリーにストーリーなど不要であり、撮影する前にはどんなストーリーになるかは分らないし、まして、あらかじめストーリーを描いて撮影に臨むというのは、ヤラセを生むことになるのではないか、という批判が日本では強いかもしれない。しかし欧米のドキュメンタリー制作者の間では、ドキュメンタリーはある視点から描かれた映像によって伝えられるストーリーであり、ストーリーによって問題を解き明かさなければ何も伝わらないと認識されている。日本のテレビドキュメンタリーはストーリーがなく説明ばかりで何を伝えたいかが分らないという批判が根強い。日本人は起承転結の4段階で描くことにこだわるが、欧米ではギリシャ悲劇、シェークスピア、ハリウッド映画もすべて3幕構成であることを認識すべきだとも言われる。
 だからと言って、日本のドキュメンタリーが欧米スタイルである必要はない。もしそうなれば日本のアイデンティティが失われてしまうではないか、とアメリカの有力プロデューサーは助言をくれる。その上で、日本式のストーリーテリングをどう開発するかが大きな課題である。
 Tokyo Docs のマスタークラスの大きな特徴は、講義がプリ・プロダクションに関するものに集中していることである。ドキュメンタリーの製作は、プリ・プロダクション、プロダクション、ポスト・プロダクションの3段階で行われる。日本のドキュメンタリー界での議論は、ほとんどが撮影などのプロダクションや編集などのポスト・プロダクションに集中しているように思われる。企画の立案、ストーリーの構想、撮影計画の作成、製作スキームの組成、予算の組み立てなど、事前準備に関する議論や講義は余り行われていない。国際共同製作は企画段階でパートナーを探すことになるので、プリ・プロダクションが十分に行われていなければ、しっかりとしたパートナーを見つけることはできない。
 マスタークラスの3人の受講生は、フランスで開かれるドキュメンタリーイベントでドイツ人プロデューサーと対面形式の講義を受けるなどして、合計7回の講義を終えた。11月に開催されたTokyo Docs 2016では3企画とも高い評価を受け、それぞれが完成に向けて製作進行中である。なお、最初の自己紹介で難儀した若手男性制作者の英語は、その後、驚異的な進歩を遂げてドイツ人プロデューサーを驚愕させた。英語は実務で学べとはまさに至言である。
 Tokyo Docs のマスタークラスは、ドキュメンタリーの人材育成のプログラムとして日本では画期的なものと自負しているが、世界的に見れば最も小規模なものと言わざるを得ない。ドキュメンタリー制作者をどう育てるかは、各国にとって大きな課題であるため、同種の人材育成プログラムは世界には数多くある。最も規模の大きなものは、EU(欧州連合)によるクリエイティブ・ヨーロッパという7年間で14億ユーロ(1700億円)の予算規模を持つ文化メディア振興策の一環として開設された、ドキュメンタリー・キャンパスという人材育成プログラムである。このマスタースクールでは毎年15人の若手制作者が10か月間で合計20日の研修を通して、自分の企画を練り上げるための指導を受けることになる。アジアの国々でも積極的な取り組みが行われており、例えば韓国のBSPF(Broadcasting Content Promotion Foundation)という財団は、ヨーロッパのドキュメンタリー・プロデューサー集団の協力を得て人材育成のワークショップを開催して成果をあげている。インド、インドネシア、マレーシア、ミャンマーなどでも、ヨーロッパと連携して様々なドキュメンタリー研修ワークショップが開催されている。
 Tokyo Docs もいずれヨーロッパやアメリカと連携してこうしたプログラムを開設したいと思っているが、そのためには相当額の資金が必要であり、それを確保できるまでは自前で実施するしか道はない。今年もマスタークラスの参加者3人の選考が終わり、間もなく第1回の講義が予定されている。
天城靱彦(Tokyo Docs 実行委員会委員長)

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