ニュース国際発信の日々 ~ロンドン、そしてソウル~ソウルへ赴く

■31年ぶりの金浦空港
 2012年9月3日午前11時過ぎ、ソウル金浦空港に降り立つ。金浦空港は、1981年1月に初めての海外出張で訪れて以来、31年ぶりとなった。韓国の国際放送の一つ、KBSワールドラジオ日本語班の校閲委員として赴くためだった。
 その3週間ほど前の8月10日、李明博元大統領が竹島(韓国でいう独島:ドクト)に上陸していた。14日には天皇陛下に対して屈辱的ともとれる「謝罪」を要求し、日本では天皇陛下に対する「侮辱発言」として強い反発を招いていた。ソウルへの第1歩は、日韓関係が急速に悪化し始めた直後のことだった。その韓国へ赴く私を慮ってか、「なんで好き好んで…」「不快な思いをするだけ…」「やめたら…」などと、本気ともとれる冷やかしの言葉を繰り返し浴びる羽目となった。それでも、KBSの校閲委員にこだわったのには、いくつもの理由があった。まず、ニュースの取材・発信に携わって、足掛け38年の経験を生かしたいと思った。ニュース現場への回帰願望は、還暦をとうに過ぎてなお萎えていなかった。歴史的・社会的に日本と深い関係を持つ隣国、韓国への好奇心もあった。朝鮮戦争で疲弊した韓国が世界屈指の早さで先進国入りを果たした歩み、国際社会で次第に強めている存在感、日本を上回る若者の英語力や留学熱が示すグローバル化の波を肌で感じたいとも思った。時に軋み、反発しあう日韓関係とともに、日本、アメリカ、韓国、中国、北朝鮮、ロシアの国益が絡み合い、揺れ動く北東アジア情勢も大いに気がかりだった。
 韓国行きを最終的に決意させたのは、この「メッセージ@pen」の2月及び3月号で詳述した、ロンドンでの体験だった。ロンドンの日本語衛星放送「JSTV」の放送担当副社長として駐在中に直面した、「東日本大震災報道」である。地震発生の直後、日本の国際放送「NHKワールド」が世界に発信した、巨大津波の中継映像が9600キロ離れたロンドンでも数秒の遅れで流れ、BBCワールドがその映像をそのまま世界に発信したこと。そして、世界中がくぎ付けとなった東京電力福島第一原発の爆発事故では、日本のメディアが政府・東京電力の発表した安心情報を中心に伝えたのに対し、ヨーロッパのメディアは、爆発の映像を繰り返し使いながら、放射性物質の拡散に警鐘を鳴らし続け、双方の報道姿勢が大きな違いを見せたことであった。ロンドンで目の当たりにした、日本の放送史に残る災害報道は、事態の進展とともにニュース国際発信の原点を私に問いかけるものとなった。ロンドンから帰国して数か月後、KBSワールドラジオ校閲委員の仕事の話が舞い込んできた。グローバル化の著しい韓国でニュース国際発信に携わり、その意味と在りようを日々見つめ直すことができると考えたら、迷うこともなく決心することができたように思う。
 金浦空港に降り立ったのは、東日本大震災から1年半後のことであった。

■期待と不安
 KBS校閲委員の道を自ら望んだ私は、期待に胸を膨らませていた。その一方、軋み始めた日韓関係の行く末に一抹の不安もあった。折しも、当時の石原慎太郎東京都知事が東シナ海の尖閣諸島を購入する計画を示したことで、日中間の領土をめぐる対立が厳しさを増しつつあった。これに呼応する韓国が竹島問題を歴史認識の問題と絡めて反日感情をさらに強め、日韓関係が修復不能になるまで悪化するとの見方も出ていたからである。
 朝から正午前にかけて、日本や中国からの着陸ラッシュが続く金浦空港のロビーは、観光客やビジネスマンでごった返していた。韓流ドラマファンなのだろうか、熟年女性のグループも目立った。神奈川県から修学旅行にきたという高校生の一行もいて、韓国語さえ聞こえなければ日本の空港と見まちがうほどであった。当時の日本語班のチーフら2人が笑顔で出迎えてくれた。活気に満ちた金浦空港では、日韓関係の軋みは微塵も感じられなかった。
 日韓関係はその後、懸念したとおりに冷え込んでいく。李元大統領の後継を決める大統領選挙が2012年12月に実施され、前大統領の朴槿恵氏が選出された。親日派とされる朴正熙元大統領が父親であったことなどから、当初は日韓関係が改善に向うと期待する向きもあった。しかし、期待は外れる。朴前大統領は、竹島、慰安婦、靖国参拝、教科書のいわゆる「反日4点セット」をめぐって、「正しい歴史認識」との言葉を繰り返し使って、反日姿勢を強めていく。李元大統領の天皇陛下に対する謝罪要求は、韓国内でも「一線を越えるもの」として批判する声も上がったという。この「行き過ぎた反日」がこれまでになく、広くかつ深い「韓国離れ」を日本に生む結果となった。反日が嫌韓を生み、さらに反日を繰り返す「反日と嫌韓の連鎖」はますます深刻になるばかりだった。

■KBS着任と日韓の対立
 2012年9月4日、KBSワールドラジオ日本語班に着任した。KBS本館は、ソウルを東西に流れる漢江の中洲、汝矣島(ヨイド)にある。国会議事堂や高層ビルが立ち並ぶビジネス街に囲まれ、5階の居室からは目の前に汝矣島公園が広がっている。校閲委員としての日課は、1日平均10数本のニュース原稿に加え、企画やコーナーの原稿を校閲するものであった。原稿は、日本での滞在や留学経験を持ち、日本語に精通した職員やスタッフがKBSや通信社のニュース原稿を日本語に翻訳して作成する。私はその表現・語句、分かりやすさなどを精査し、事実関係も確認していく。校閲が終われば、その日に放送する15分のニュースオーダーを決め、収録に立ち会い放送に備える。竹島をめぐって、日韓が激しく対立し始めるなか、着任初日、韓国の国会が日本に対し、竹島の領有権の放棄と慰安婦問題に対する謝罪を求める決議を採択したとのニュースで洗礼を受けたのを今も覚えている。
 軋む日韓関係が悪化するにつれ、日韓関係をめぐるニュースは、日韓の対立の構図をより鮮明にしていった。円安ウォン高、安倍首相の靖国神社参拝、対馬からの仏像窃盗事件、橋下大阪市長による慰安婦問題発言、米韓首脳会談における朴大統領の日本批判、福島原発の汚染水問題と東京オリンピック招致、日本の集団的自衛権の行使容認の閣議決定に対する反発、サンケイ新聞加藤支局長と名誉棄損事件など、日韓双方が激しくやり合うニュースが続く。

■校閲とニュース国際発信

 こうしたニュースの校閲にあたって苦心したのは、何よりも真実、そして客観的な事実を踏まえたうえで、日本と韓国の立場や主張をどう表現するかという点だった。国益と国益が真正面からぶつかり合う韓国のニュースを日本に向けていかに伝えるのかも重くのしかかる。朝鮮日報や中央日報など韓国メディアがウエブ上に掲載する日本語版は、韓国の立場を捉えるうえで大いに参考となった。その一方、こうしたメディアは往々にして反日を煽るかのような論調で伝え、ニュース国際発信の報道姿勢の在り方として、何度自問自答したことだろうか。まさに、ニュース原稿の1本1本に、ニュース国際発信の意味と在りようを再考する日々となった。
 2014年9月2日、私は校閲委員の仕事を終えて韓国より帰国した。丸2年のソウル生活だった。日韓関係からみれば、最悪の730日だったと思う。この間、韓国のニュースを日本に発信し続けた日々の出来事が私の日記やメモに記されている。次号以降、日韓関係に大きな影響を与えたニュースを中心に、一つずつ振り返っていきたいと思う。
 改めて強調したい。世界各地で相次ぐテロ、絶えない内戦と紛争、深刻さを増す難民・移民の問題、格差や貧困問題などに、自由、民主主義、人権という人類共通の価値観が損なわれているように思えてならない。国益を剥き出しに力で現状を変える動きは、国際秩序と法の支配を蔑ろにするものとして看過できるだろうか。イギリスのEU離脱、トランプ大統領の「アメリカ第一主義」など、グローバリズムに対する反動としての保護主義は、一体どこへ向かおうとしているのだろうか。歴史的な転換期に差し掛かったように見える国際社会は不透明さを増し、既存の価値観や世界観が通用しなくなっているように思われる。今世界で何が起きているのか。また世界は何を目指すのか。これに答える手がかりとして、国際ニュースの国内発信とともに、アジアをも視野に入れた日本からのニュース国際発信が今ほど求められ、かつ問われている時代はなかろう。
 ソウルで過ごした730日の日々を回想し、見つめ続けたニュース国際発信の意味と在りようを問い続けていく。
羽太 宣博(元NHK記者)

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