ニュース国際発信の日々 ~ロンドン、そしてソウル~

ニュース国際発信~ロンドン

■問われるニュース国際発信
国際社会は絶えず変容する。せめぎ合ってやまないパワーポリティックスに、国際情勢はときに大きな転換点を迎える。

その世界で昨今、不合理なゆえに理解できず、理不尽なゆえに憤りさえ覚える事象が相次いでいる。ISに代表される過激派組織によるテロは、シリアやイラクにとどまらず、ヨーロッパやアジア各地でも繰り返されている。平穏な暮らしを踏みにじられた市民の表情に、戦闘を逃れてヨーロッパに流入する難民・避難民の姿に、自由、民主主義、人権という共通の価値観が損なわれている世界が見える。ロシアによるクリミアの併合、南シナ海などにおける中国の海洋進出など、国益を剥き出しに力で現状を変えようとする動きを看過することはできない。そこには、二度にわたる悲惨な戦禍を経験した政治家や知識人が生み出した、平和と安全のための国際秩序や法の支配を蔑ろにする現実が見え隠れする。アメリカ大統領選挙では、泡沫候補とも評されたドナルド・トランプ氏が選出され、就任演説で自国の国益を最優先する「アメリカ第一主義(America First)」を改めて宣言した。激しい抗議デモが起こる異例の就任式を終え、独自の政策を盛り込んだ大統領令に相次いで署名している。今後どのように実行していくかは予見できず、慎重に見極めるほかはあるまい。一方、ヨーロッパでは、EUの単一市場からイギリスが離脱することを決めるなど、保護主義が目立つ。冷戦以降、自由貿易や新自由主義を柱にして進展したグローバリズムが経済格差や生活不安という「ダークサイド」を生み出し、その反動としてのナショナリズムが台頭している。歴史的な転換期を迎えたように見える国際社会は一段と不透明さを増し、既存の価値観や世界観が通用しなくなっているように思える。

混沌とした国際社会に、日本はどう向き合っていくべきなのか。また、平和で真に豊かな社会を目指す我々の進むべき道はどこにあるのだろうか。これらの疑問に答える手がかりとして、メディアには二つのことが問われているように思う。まず、国際社会で今何が起きているのか、その背景に何があるのかを多角的に伝える「ニュース国内発信」。もう一つは、本稿のテーマ「ニュース国際発信」である。国際社会の変容を的確に捉え、日本で今起きていること、日本の立ち位置をしっかりと世界に発信できているのであろうか(注1)。政治・外交、経済、社会はもとより、科学技術や文化・芸術などあらゆる分野にわたって、日本の「今」を世界に発信すべき時代に入って久しい。明確な指標を見失いかけた国際社会であるからこそ、ニュース国際発信の意味や在りようが厳しく問われよう。

■ニュース国際発信と私
ニュースと私との関わりは、1974年、記者として赴任したNHK秋田局に始まる。その後、社会部、仙台局などを経て国際部に異動し、シドニー支局やアジアセンターで国際ニュースと向き合った。衛星放送部では、国際情報番組のキャスターも経験し、発信の最前線に立つ機会を得た。退職後は関連会社に転籍し、NHK国際放送の発信業務に関わり、ロンドンの日本語衛星放送「JSTV」(注2)の放送担当副社長として4年過ごした。

また、帰国して1年後、韓国KBSの国際放送、「ワールドラジオ」日本語班の校閲委員(注3)として、韓国発のニュース国際発信に携わることができた。

ロンドン、そしてソウルでは、ニュース国際発信をじかに見つめ続けることができた。ロンドンでは、あの未曽有の災害となった「東日本大震災報道」を体験し、ニュース国際発信を根底から見つめ直す貴重なきっかけとなった。一方、ソウルでは、李明博前大統領が竹島(韓国でいう独島・トクト)に上陸したのを機に、日韓関係がいっきに冷え込んでいく2年間となった。日韓双方の主張や国益が真正面からぶつかるニュースと連日向き合い、ニュース国際発信を見直す日々となった。気になるニュースや出来事が多々あった。それら一つ一つを日記やメモのかたちで残している。ロンドンでの東日本大震災報道、そしてソウルでの日々を回想することで、今問われるニュース国際発信の意味と在りようをあぶり出していきたいと思う。

■ロンドンでの東日本大震災
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖の海底でマグニチュード9.0の地震が発生した。予想を超える巨大津波が東北から関東地方沿岸を襲い、未曽有の大災害となった。東日本大震災だ。英国時間では午前5時46分である(以後、特別な事情がない限り、英国時間で表記)。地震の一報が私に届いたのはその数分後だった。ロンドンの中心から地下鉄で北へ30分のウッドサイドパークの自宅で、ベッド脇の電話が鳴った。ロンドンの春は意外に早く、空はすでに白みかけていた。電話はJSTVの泊り明けスタッフからだった。「日本で大きな地震があったみたいで、NHKからの映像が地震速報に切り替わってます。うち(JSTV)もこれを生で放送しますか」と判断を求めてきた。続けて、「三陸に大…大津波警報です。すごい揺れだったみたいです」との上擦った声に、いっぺんに目が覚めたのを覚えている。「今出してる番組をぶった切り、NHKの地震速報をすぐ放送してくれ」と伝え、すぐタクシーを呼んだ。

私は仙台放送局に2度、合わせて7年間勤務した経験を持つ。JSTVに向う車中、災害担当の記者やデスクとして何度も訪れた、あの三陸の津々浦々、港湾施設や住宅地を守る防潮堤、そして宮城、福島の原発が脳裏に浮かんだ。「大丈夫だろうか…」と案じながら、地震発生から50分後、JSTVに着いた。オフィスに入るなり、衛星を使って送られてくる日本の映像モニターを凝視した。相次ぐ余震情報とともに、仙台市内、釜石、気仙沼などに設置したNHKの固定カメラが捉えた雑観映像が次々に流れていた。すでに津波が三陸沿岸の釜石や気仙沼などを襲い、漁船、車、住宅が流される映像が中継されていたことを知った。私に一報を伝えた日系イギリス人のスタッフが「母親が今、宮城の松島に近い七ヶ浜町に住んでいて、連絡がとれず心配なんです」と不安そうに吐露した。その直後だった。

■仙台からの津波中継映像
地震発生から1時間余り経過した、午前6時54分過ぎだった。NHKからの映像モニターの画面に、宮城県・仙台平野上空でヘリコプターが捉えた映像が飛び込んできた。生中継のテロップが入っている。初めは名取川を激流となって遡上する津波。そして、田畑、住宅、避難する車を飲み込む不気味な津波。これまで見たこともない映像だった。その先端は瓦礫を巻き込んでどす黒く、不気味な「悪魔の舌」のようだった。巨大な怪物が左右に舌を伸ばしながら獲物を狙うかのように見えた。「あっ!すげぇぇ…」と漏らしただけで、しばらくは言葉を失った。
もう一つ、衝撃的なことがあった。JSTV放送部に設置されたBBCワールドニュースも、あの巨大津波の先端を捉えたNHKヘリコプターの映像を同時に中継で伝えていたのである。

テレビは、これまでにも歴史的な事件や出来事、戦争などの生々しい映像を中継で伝えてきた(注4)。しかし、日進月歩の放送技術をもってしても、巨大津波を中継で伝えたことはこれまでなかった。過去の津波映像では、1960年のチリ地震で、気仙沼湾や大船渡湾に押し寄せた津波を撮影したフィルム映像が残っている。また、1983年の日本海中部地震や2004年12月のスマトラ島沖地震の津波も動画や写真に記録されているが、いずれも後日、公開または放送されたにすぎない。今回の仙台平野上空からの津波映像はこれまでとは次元が異なっていた。巨大津波の生々しい映像が初めて同時中継されたこと。しかも、英語国際放送・NHKワールドTVによって世界に発信されたことに留意しなければならない(注5)。

私がJSTVで見たBBCワールドの津波映像は、NHKが世界に向けて発信した映像をBBCが受信し、世界の3億5000万世帯を対象に伝えたものだった。およそ40年にわたってニュースの世界に身を置いてきた私も、初めて経験することであった。

■テレビ映像の力
11日の午後遅くなって、七ヶ浜町の母親を気遣っていたスタッフから電話があった。ようやく母親と連絡がつき、身辺に大きな被害もなく無事を確認したという。一方、日本からは、断片的ながら深刻な被害情報が相次ぎ、広域停電や大量の帰宅難民といったニュースも入っていた。被害の全体像はなおはっきりしないものの、壊滅的な被害が予測できた。気になるニュースがすでに正午前から伝わっていた。東京電力福島原子力発電所では、点検中も含めた5つの原子炉がすべての交流電源を失い、「緊急事態」に陥っていたのである。また、原発から半径3キロの地域の住民に、「避難指示」が出ているという。

私には、やり残した仕事があった。震災報道がすでに12時間以上続くなか、翌日以降の番組編成方針を決める必要があった。地震や津波などの災害、首相会見、国政・外交などに関わる重大事案の報道では、JSTVはNHKの放送を同時に伝えることになっている。是も非もなかった。番組がいつ終わっても対応できるフィラー(放送の隙間を埋める調整映像)やスタンバイの番組をいくつか準備し、JSTVとしてもヨーロッパ各地の在留邦人に向け、地震・津波情報をそのまま放送し続けることにした(注6)。社員全員にこの方針を徹底してところで一段落がつき、帰宅することにした。一報を受けて家を飛び出してから、すでに13時間経過していた。JSTVから最寄りのモアゲート駅から地下鉄に乗り込むと、ラッシュは過ぎていたものの、混雑していた。隣合わせで立つ見知らぬイギリス人2人が、私を日本人と気付いて声をかけてきた。「津波で実家に被害がなかったか」「家族や友人は無事か」「原発は大丈夫なのか」などと矢継ぎ早に案じてくる。BBCやSKY、ユーロニュースなどのテレビや新聞を通して、日本の惨状を知っていたに違いない(注7)。その気遣いの裏に、映像に圧倒されたことで、さらに気になる日本の最新情報を日本人の私から聞き出したかったのだろうと察した。

グローバル化とともに、日本の国際発信力の強化が叫ばれて久しい。NHKでは、1995年にテレビ国際放送を開始し、完全英語化したNHKワールドTVを2009年に開始している。日も比較的浅く、なお課題が残るなか、今回の東日本大震災報道は、日本の「ニュース国際発信」の歴史に新しいページを開いたことは間違いない。とりわけ、巨大津波が襲う中継映像は、世界中の人々に津波災害の非情さを伝えるとともに、テレビ映像のもつ力を余すことなく見せつけるものとなった。また、午前6時前の巨大地震発生から、慌ただしく過ごした3月11日はただ長く感じる一日だった。また、私には、日本の「ニュース国際発信」の意味と在りようを見つめ直すきっかけの日でもあった。

■気になる福島原発
自宅の最寄り駅、ウッドサイドパークの10分ほど手前で席が空き、座ることができた。目を開けても閉じても、あの津波映像が何度も脳裏に浮かぶ。地下鉄を降り、駅から続く歩道へ出ると、一家団らんの場を点す居間あたりの灯りが漏れている。地震と津波で大規模な停電が発生し、東北6県のおよそ460万世帯が停電したままになっているのを思い起こした。そして、電源を失った福島原発では今何が起きているのだろうかと、不安は募るばかりだった。テレビ見たさに家路を急いだ。
羽太 宣博(NHK元記者)

注1) NHKは外国人向け国際放送を通じて、「諸外国のわが国にたいする理解を深め、国際間の文化お よび経済交流の発展に資し、ひいては国際親善と人類の福祉に貢献する」とし、その番組編集基準として以下の3点を示している。
1)ニュースは、事実を客観的に取り扱い、真実を伝える。
2)解説・論調は、公正な批判と見解のもとに、わが国の立場を鮮明にする。
3)わが国の世論を正しく反映するようにつとめる。

注2) JSTV(Japan Satellite TV)は、1989年にNHKの関係会社がロンドンに設立した日本語衛星放送局。ヨーロッパ、中東、東欧などに在住する日本人を対象にした有料の放送局で、主にNHKのニュース、ドラマ、スポーツ、ドキュメンタリー、音楽番組、子供番組、アニメや映画などを編成し、1日24時間放送している。

注3) KBSワールドラジオ日本語班の校閲委員は、主に韓国語ニュースを日本語に書き換えた原稿について、表現や語句、分かりやすさ、事実関係をチェックするデスクまたはアドバイザーの役割を担う。また、ラジオ番組にパーソナリティとして出演する。KBSのワールドラジオは現在、韓国語のほかに、日本語、英語、中国語など11の言語で放送され、日本語放送は1955年にスタート。校閲委員は1985年からこれまでに9人が勤務している。

注4)1969年7月、アメリカのアポロ11号の着陸船「イーグル」が月面「静かの海」に着陸した
際、ニール・アームストロング船長が月面に下り立ち、人類史上初めて月面に足跡を残す映像が 世界中に中継された。1972年2月28日には、厳冬の軽井沢で連合赤軍の5人が山荘の管理 人を人質にとった浅間山荘事件で、人質救出作戦の作業が中継された。10時間余りに及ぶ生中 継の最高視聴率は90%にも達し、ほぼすべての国民が見ていたことになる。このほか、イラク 戦争におけるバクダッド空爆を伝える音声の生中継、スペースシャトル・チャレンジャー号が大 気圏に突入した際の爆発事故の映像は、全米に中継されている。

注5)NHKの「外国人向けテレビ国際放送の現状と課題」(2013年8月)によれば、NHKは世 界の放送局の要望に応え、東日本大震災関連の映像を提供し、BBC、CNN、CCTVなど世 界2000の放送局が放送に使用したとある。

(注6)JSTVは、3月11日の地震発生直後から、通常の番組編成をすべて取りやめ、NHKの地震・津波報道だけを18日までの1週間にわたって放送し続けた。19日以降は、大河ドラマや連続テレビ小説、子供向けの番組などを徐々に放送を開始した。

(注7)NHKでは、地震発生から1週間の間に、NHKワールドTVが海外の放送局にどの程度利用されたかについて緊急調査を実施している。NHKの映像をテレビ・ネットで同時に放送・配信したことが確認された放送局は、BBC、フランス24、ユーロニュース、アルジャジーラなどとなっている。(NHK放送文化研究所「放送研究と調査」2011年5月号)

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